複数の国で働く――ノマドな生き方の実践者とは世界一周サムライバックパッカープロジェクト(2/4 ページ)

» 2011年11月22日 08時00分 公開
[世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

 考え抜いた後、結局当時関わっていた大きなプロジェクトを終えたのを機に会社を辞めて、メキシコへの渡航を決めました。メキシコに行き、現地の様子やニーズを理解して商材を決め、自分で何かを立ち上げたいという思いでした。

 その時は中南米の中で、特別メキシコで何かをしたいと思っていたわけではなく、ほかの中南米諸国への足かがりとしてメキシコが行きやすかったという理由で降り立ったに過ぎませんでした。しかし、結局そこで現地の野菜や果物、オーガニック商品などを扱う共同経営者と出会い、彼と一緒にメキシコのオーガニック商品、果物などを輸出する会社を興しました。

 会社を始めて数年経ち、「世界中のお気に入りの土地で複数のビジネスを興して、仕事を通して世界中を飛び回りたい」という夢を実現するため、その土地やネタ探しに数カ月間南米をバックパックしました。

 結果として、到着した瞬間にその街並みに一目ぼれしたアルゼンチンのブエノスアイレスに移住して、次の拠点とすることを決めました。

ブエノスアイレスの街並み

 メキシコの会社を続けながらだったので、ブエノスアイレスに住みながら、毎日のようにメキシコの共同経営者と連絡をとり業務を進めていましたし、取引先の日本に飛んだり、と移動も多い時でした。

 一方、メキシコ時代に歯医者さんで読んだ漫画の『プロジェクトX』に感動して、それらをスペイン語出版したいと思っていた経緯があって、アルゼンチンでは漫画の国際著作権を扱う仕事を始めました。

 今から思うと、何も知らない国でよく思いついたことを形にしていけたなあと、当時の自分に感心するようなときもあります(笑)。しかし、自分の思いに共感してくれた人々が話をつなげて下さったり、力添えを下さったおかげで出版にこぎつけられ、関連のプロジェクトを進めていけました。

 長い話を短く、結論だけ言うと、当時はまだ(今でもですが)アルゼンチンでは中国と同じようにまだ著作権への概念が薄く、結局取引先の支払い不履行などの契約違反など裁判沙汰になる争いがあり、取引先への整理を終えた後、私は会社を閉めました。

 その時、自分はちょうど30歳になる前でした。仕事のこと、住んでいる国(「そもそもアルゼンチンでないとできないことをしているのか?」という根源的な質問)への自問などさまざまなこと、自分のしていることや立っている場所を振り返る必要に迫られた時でした。人生をゼロベースに戻さないといけない時があったのだとしたら、この時でした。

 その時は、著作権ビジネスでの経験からアルゼンチンではもう会社を興さないと決めていました。また、「アルゼンチン人と関わって働く仕事は、仕事そのもの以外での無駄な労力がかかり過ぎる」という理由で、アルゼンチンにいながらもそういったことを抱えずに、自分の好きなことを仕事にしていける形は何かと考えました。

 当時はすでに今のパートナーとの生活を始めていたので、「アルゼンチンにいながらできること・したいことを」と考えました(相手はアルゼンチンでブエノスアイレスの不動産に特化した不動産リスティング広告の会社をしていて、当時はまだアルゼンチンにいる必要があった)。

 話が少しそれるのですが、この時、自分を見つめ直すために、それまでのぐちゃぐちゃを整理して新たに出直すためにも、ちょっと今いる場所を物理的に離れる必要があるなあと思って、目的地も期間も決めずにボリビアやペルーに旅に行きました。落合信彦さんの『命の使い方』など数冊の本とノートを持って出ました。

 旅先で今までのことを書き出して見直し、「何が好きで何が好きでないかなど、自分を徹底的に見つめ直すことなしに次には進めない」と思ったんだと思いますが、旅の中でだんだん力を取り戻す自分を感じました。「人って時間とともに進めるすばらしい生き物だなあ」なんて哲学的なことを感じましたよ。

 ペルーのマチュピチュに朝日とともに登り、夕陽を見て下山する時に何となく「これからも私、大丈夫だ」と思って旅の終わりを決めました。

 その間に何が吹っ切れたかは話が長くなりすぎるので割愛しますが、今ある状況でできること、好きなことの要素がたくさんあること、今後国を移動しても継続性があることなどの要素を持っていることを仕事として成り立たせていこう、と思いブエノスアイレスに帰りました。

 現在、パートナーも自分も、場所と時間から独立した形で仕事ができる環境が整ったことを機に、7年間住んだブエノスアイレスを離れてスペインに移住したばかりです。ブエノスアイレスは一目惚れした大好きな都市で、また私はタンゴを踊るのでこれからも接点を持ち続けたいと思います。

 20代にもがきの中、場所を選べる生活ができるようになったこと、生き方に合わせて仕事を作っていく姿勢ができたことなどは、自分の生き方や働き方の大切にしたい根本部分となりました。

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