「早野黙れ」と言われたけど……科学者は原発事故にどう向き合うべきか(2/4 ページ)

» 2011年12月29日 22時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

データの出典を示して、解析して、公開して、議論する

早野 東日本大震災が起きた時は東京大学本郷キャンパスにいたので、みんなで安田講堂の前に避難しました。その日、電話は通じませんでしたがインターネットは使えたので、Twitterで「どうやったら帰れるかな」「どの電車が動いているかな」といったことをつぶやいていました。

地震直後の安田講堂前の様子

 翌日家にいると、テレビからセシウム137というキーワードが流れてきたのにドキッとして、「これは何かマズイんじゃないか」と思いました。次画像は僕が3月12日につぶやいた最初の原発関連のツイートです。

 その日の夕方には「放射線レベルが(敷地境界で)毎時1015マイクロシーベルトになった。これはシリアスだ」(3月12日17時30分)、「放射線レベルの大きな上昇があったということは,原子炉も格納容器も破損したと推定するのが妥当だな」(3月12日17時32分)ということをつぶやき始めました。

 ただ、一次情報が乏しく、当時は次画像のようにテレビ画面をいくつか並べて、情報を見ていたのですが、「原子力安全保安院会見を聞いても、要を得ない。これだけの情報では、何が起きたか推測するのは僕には無理です」(3月12日18時6分)ということもつぶやいていました。

 データは少しずつ出てきました。最初は福島第一原発からファックスで送られたものをコピーしてスキャンしたPDFファイルがアップされていました。しかし、これでは状況が分からないので、データの見える化をしようということになりました。私たちは科学者なので、データの出典を示して、解析して、公開して、議論するという普段のトレーニング通りのことを淡々と行いました。

 例えば翌朝、「福島第一原子力発電所正門付近のガンマ線量測定値、東電公表データからグラフにしてみました」(3月13日7時49分)と次画像のようにツイートしました。ツイートした途端、これを約9万人が見ました。

 また同じ日には、「青森から静岡までの放射線モニタのグラフを比較。女川と福島以外には、異常な数値を示しているところはありません」(3月13日16時23分)と次画像のようにツイート。これも約10万人が見ました。

 こういうことをやっていると、「これだったら私も貢献できる」と思った方々、素人の方も、プロの方もいらっしゃいました。その1人が、高エネルギー加速器研究機構の一宮亮さんです。

 「放射線を用いた研究を国のお金で行わせていただいている者の1人として出来ることをしようと考え」ということで、勝手連でさまざまなデータを集める「放射線量モニターデータまとめページ」を始めてくれました。みんなボランティアで、民間の方も含めてネット上でつながって、一次情報にリンクしたデータを出すようになりました。

 例えば、次画像は理化学研究所の板橋健太さんが作ってくれた「茨城県東部 放射線モニターデータ解析」です。茨城県内で動いていたモニタリングポストのデータを使って、地図上で放射線量の推移が見られるシステムです。

放射線量の推移する様子は上のリンク先から見られる

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