“請求書的”祈りから“領収書的”祈りへ(2/3 ページ)

» 2012年01月06日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]

いかなる仕事も自分一人ではできない

 仕事という価値創造活動の入り口と出口には、インプットとアウトプットがあります。ものづくりの場合であれば、必ず、入り口には原材料となるモノがくる。そして、その原材料が植物や動物など生きものであれば、その命をもらわなければなりません。

 古い言葉で言えば「殺生」です。

 その時に、アウトプットとして生み出すモノはどういうものでなくてはならないか、そこにある種の痛みや祈り、感謝の念を抱いて仕事に取り組む人の姿をこの2人を通して感じることができます。

 毎日の自分の仕事のインプットは、決して自分一人で得られるものではなく、他からのいろいろな生命、秩序、努力によって供給されています。例えば今、私はこうして原稿を書いていますが、まずは過去の賢人たちが著した書物が私に知恵を与えてくれています。また、この原稿をネットにアップしようとすれば、ネット回線の維持・保守が必要であり、Webサイトをきちんと運営してくれる人の労力がいります。

 さらに、こうして考えるためには、私の頭と身体に栄養が必要で、昼に食べた雑煮(そこには出汁にとった昆布や鶏肉、そして餅の原料となるコメ)がその供給をしてくれています。それら、昆布やら鶏やらコメの命と引き換えに、この原稿の1文字1文字が生まれています。だからこそ、古人たちは、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

 そんなこんなを思い含んでいけば、自分が生きること、そして、自分が働くことで何かを生み出す場合、他への恩返し、ありがとうの気持ちが自然と湧いてくる――これこそが祈りの原点だと思います。

「良い仕事」とは?

 物事をうまく作る、早く作る、もうかるように作ることが、何かとビジネス社会では尊ばれますが、これらは「良い仕事」というよりも「長けた仕事」というべきでしょう。「良い仕事」とは、真摯(しんし)で真っ当な倫理観、礼節、ヒューマニズムに根ざした「祈り」の入った仕事を言うのだと思います。

 私たちは、いつの間にか、生きることにも働くことにも、効率やスピード(即席)、利益ばかりに目がくらんで、大事な祈りを忘れている。ましてや、祈りにも効率や即席を求めるようになった。

 普段の仕事現場で、自然の感覚から仕事の中に「祈り=ありがとう、そしてその恩返し」を込められる人は、おそらく「良い仕事」をしている人で、幸福な仕事時間を持っている人です。

 これらをないがしろにして、「さあ正月だ、初詣だ、お祈りだ、もうかりますように(さい銭+柏手パンパン)」というのは、どうもなぁ、と私には思えてしまうのです。

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