企業は誰のもの? “縁起のいい経営”を考えるMBA僧侶が説く仏教と経営(1/2 ページ)

» 2013年01月23日 08時00分 公開
[松本紹圭,GLOBIS.JP]

松本紹圭(まつもと・しょうけい)

1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。蓮花寺佛教研究所研究員。米日財団リーダーシッププログラムDelegate。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のWebサイト「彼岸寺」を設立し、お寺の音楽会「誰そ彼」や、お寺カフェ「神谷町オープンテラス」を運営。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。現在は東京光明寺に活動の拠点を置く。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。著書に『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社)、『「こころの静寂」を手に入れる37の方法』(すばる舎)、『東大卒僧侶の「お坊さん革命」』(講談社プラスアルファ新書)、『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー21社)、『脱「臆病」入門』(すばる舎)など。


 科学全盛の時代であり、ビジネスの世界にもデータベースや統計を駆使した科学的な手法が盛んに取り入れられていますが、何だかんだ言っても現場では今でも、オフィスの隅っこに神棚を飾ったり、お正月には商売繁盛の祈願をしたりと「縁起をかつぐ」ことがなされていますね。

 しかし、この「縁起」という言葉、本来は「良いことや悪いことの起こるきざし」という意味ではなく、「すべてのものは相依って成り立っており、何一つとして独立して成り立つものなど存在しない」という仏教の基本的な考え方を示しています。

 縁起観から生まれる日本人の心情を分かりやすく表したのが、「おかげさま」という言葉でしょう。見た目につながりは見えなくても、目に見えないところで私を支えてくれているすべての存在に感謝する言葉です。

 企業活動においても、ヒト・モノ・カネ・情報、すべては目に見えない網の目で間違いなくつながっているということは、このグローバル化社会の中で、ほとんどの経営者が頭では知っているはずです。しかし、その事実を事実として本当に腹の底から理解しているかどうかが、企業の長期的な成功を左右することになるとまでは、その重要さは認識されていないかもしれません。

おかげさま、預かりもの、の経営

 「ダンマパダ」(原始仏典の1つ、「法句経」の名でも知られる)にこのような言葉があります。

 「一つとして『わがもの』というものはない。すべてはみな、ただ因縁によって、自分にきたものであり、しばらく預かっているだけのことである。だから、一つのものでも、大切にして粗末にしてはならない」

 私たちの身の回りにあるものはすべて「預かりもの」です。人間は勝手にモノや土地に値段をつけて売り買いをし、所有を増やしているような気になっていますが、そのようなことは人間の世界だけで通用している“ローカルルール”であり、森羅万象からすればまったく意味をなさないことです。

 仏教の縁起という考え方は、まさにこのような森羅万象の網の結び目の1つに過ぎない自己のありさまを、知らせてくれるものです。「網の結び目」というのは、ロープとロープが絡まって作られる「現象」であり、結び目そのものが単体で成り立つのではありません。無数に絡まり合った網の目の中に「私」という網の目がたまたま、しかし確かに成り立っているのです。

 そのことに気が付くと、自分というものがいかに他からの恩恵に預かっているか、「おかげさま」の気持ちを思い知らされます。同時に、自分の行為がどれだけ他へ大きな影響を及ぼすのかにも思い至ります。

 このことが当てはまるのは、日常生活だけではありません。企業活動も、計り知れない無数の他からの恵みによって成り立っています。そして同時に、いかに小さくともあらゆる企業活動は世界と何かしらの関係性を持っています。いかなる業種であれ、「預かりもの」の役割に応じた責任があるのです。

 成長する企業を見れば、その性質はさまざまです。「おかげさま」の精神で経営されている組織もあれば、「とにかくもうけろ」「手柄は全部自分のおかげだ」という利己主義の精神で経営されている組織もあるでしょう。しかし、長期的に成長する企業となると、後者の組織はとたんに少なくなります。縁起の道理をわきまえないと、組織の空気はよどみ、エネルギーが流れなくなり、網の目が腐ってしまうのです。このような事例、誰でも何かしら思い当たるところがあるのではないでしょうか。

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