アルジェリア人質事件の裏にある民主化運動「アラブの春」伊吹太歩の世界の歩き方(1/3 ページ)

» 2013年01月31日 08時00分 公開
[伊吹太歩,Business Media 誠]

著者プロフィール:伊吹太歩

世界のカルチャーから政治、エンタメまで幅広く取材し、夕刊紙を中心に週刊誌や月刊誌などで活躍するライター。


 アルジェリア南東部イナメナスで発生した人質事件。殺害されたプラント建設大手・日揮の駐在員たちの遺体が1月25日、無言の帰国を果たした。日本人の多くがその場所さえ知らないであろうアルジェリアで、日本人が仕事をしていることに驚かされた人も多いのではないだろうか。

 ほとんどの日本人の感覚では、北アフリカに位置するアルジェリアという国は遠い。事件の背景に隣国マリやリビアなどが深くかかわっていると言われれば、さらに「距離感」は遠のく。

 だが、北アフリカは最近、世界の「テロの構図」の中で非常に注目される地域になっている。世界の動きを知るためにも、今回のテロから学べることはあるはずだ。もはや日本人にとっても対岸の火事ではない。

「アラブの春」が引き起こした負の側面

 北アフリカは、民衆による民主化運動「アラブの春」の舞台になった地域だ。独裁者が次々と失脚し、国民の声で民主化に向けて歩み始めた国々――。民主化というポジティブな動きを見せる歓迎された地域であると見られがちだ。だが、そのアラブの春が今回のアルジェリアの人質事件の原因の1つだと言っても過言ではない。

 アラブの春は、2010年末にアルジェリアの東隣であるチュニジアで始まった。ジャスミン革命と呼ばれる民主化運動で23年間独裁政権を続けていたベンアリ大統領が失脚。その運動は近くのエジプトに波及し、最終的には30年続いたホスニ・ムバラク大統領の独裁政権も崩壊した。

 またチュニジアとエジプトの間にある国、リビアも反体制派が蜂起。内戦状態に陥ったが、ムアマル・カダフィ大佐が40年以上も続けた独裁政権は、欧米と手を組んだ反体制派にカダフィが殺されたことで終焉した。

 アルジェリアの周辺で勃発したアラブの春によって、北アフリカで3人の独裁者が姿を消したことになる。国民は開放感に浸ったが、一方で思わぬ負の側面が顕在化した。独裁者に仕え、国境や国内の過激派組織などを監視していた情報機関なども崩壊したのだ。今、北アフリカでは武装集団などが自由に国を渡って行き来できるようになっている。

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