2や3は、減点主義とでも言える考え方ですね。だから、よく改革派は「減点主義より加点主義で!」なんて言葉を言いますし、僕も比較するなら、減点主義より加点主義の方がよほどいいと思います。
しかし、「減点主義より加点主義で」という考え方そのものが、減点主義を(全)否定することで加点主義を導く……考え方の構造だけ見ると3と同じではないか、とも思うのです。
1に傾き過ぎると改革の暴走も生みますし、善い2の指摘を(社会が)見過ごす場合もありますから、減点主義的考え方の中にも善い部分はあるわけで(とはいえ、今の日本社会においては、むしろ1に傾き過ぎる方が良い現状もある、と個人的には思いますが、それは別の話として……)。
3の考え方を否定するなら、「反例主義はやめましょう」だと思うんです。1つの善くない点を指摘しただけですべてダメだという、その論理展開がはびこる社会は、善い改革が妨げられるんです。
反例を出して命題を否定する方法が正しいのは、命題が全称命題(=1つの集合を構成するすべての項について、ある性質を肯定する命題。「人間はすべていつか死を迎える」など)の場合のみ。
命題そのものの正誤が100%と(最初から)言い切れない場合、反例を挙げてもそれだけでダメと言い切ることもできません。
で、世の中の意見、代替案……その他、全称命題なんてほとんどないですよね。ということは、「反例を挙げても、それだけで案そのものにダメ出しするのが正ではない!」と言い切れるわけですし、言い切る社会の方が改革は進むと思うのです。
反例主義の温度を、もっと支援主義に転換してはどうかと思うのです。上記「欠点の指摘」3パターンのうち、1および「善い」2は、何とか善い代替案を出して未来を創っていこう、そんな「支援主義」に基づく考え方とも言えますよね。
これは欠点の指摘に限った話でもなく、僕がランニング中「ファイト!」と言われてうれしくなって「今後も継続しよう!」と思ったように……支援するオーラを社会全体に振りまいた方が、いろんなことが始まるし、継続するし、それらがきっと未来を創ることにつながると思いませんか。
公務員にダメ出ししてきた。教師にダメ出ししてきた。そんな日本社会。
「で、どうするの? これから」
行政を担う、教育を担う、そんな人たちにダメ出しするより、支援した方がいいと思いませんか? 例えばの話、「ファイト!」と言われ元気付く、ランニングが続く、そんなもんですから。
支援主義を世の中の風として吹かせるために……。僕のランニングにはまだ余裕がないですが(苦笑)、継続することできっと、「ファイト!」と言われたら「ありがとう!」とすぐ言える、そんな体力、身につけますから、僕も(笑)。(寺西隆行)
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