会社に依存せずに生きる方法(1/2 ページ)

» 2013年03月12日 08時00分 公開
[坂口孝則,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:坂口孝則(さかぐち・たかのり)

未来調達研究所取締役。大阪大学卒業後、電機メーカー、自動車メーカーで調達・購買業務に従事。未来調達研究所株式会社取締役として、コスト削減のコンサルタントを行う。著書に『牛丼一杯の儲けは9円』(幻冬舎新書)など。


 先日、なぜだかふと毎日「時間がある」ことに気付きました。もちろん、いつも何かをやっていなければ気が済まない性分ですから、休むことはほとんどありません。アウトプットの量を見ると、年々増えていると思います。しかし、それにしても、なぜだか時間に余裕がある。アウトプットに割く時間が多いのでその量が増えるのは当たり前かもしれません。

 なぜだろう。考えると、昔と違いが1つありました。簡単に言うと「会議がないこと」です。本当かよ、と思いながら手帳を見直すと、確かに昔はたくさんの会議に忙殺されていました。昔の手帳には「会議」だらけです。もちろん、社外との会議はまだ良いかもしれません。ただ、社内会議が多かったこと。それがないので、そりゃ時間は浮くはずです。

 今、私は数人で仕事を回しています。会議の必要はほとんどありません。あれほど必要だ、と思っていた会議ですが、それがなくなった今、思うに生産性はほとんど変わっていません。むしろ、空いた時間で生産量は上がっています。

 振り返ると、会議の目的は「全員で合意した雰囲気を作り上げる」以上のものがあったのか疑問です。また、多くの会議はフリーディスカッションになっていますが、本来は個々人が熟考を重ね、議論に参加しなければ会議の意味などありません。もっと言えば、会議の大半は上意下達に過ぎません。こういうと失礼ですが、会議がなくなったこの爽快感はちょっと表現できないほどです。

 それで私はここから「だから会議なんて不要だ」と結論付けたいわけではありません。というのも、続いているものは、それなりの意味があるからです。では会議の意味とは何か。異論があるでしょうが、根底には孤独を紛らわすためにある、と私は思います。会議に参加すれば、どこかに帰属している事実を確認できます。チーム感を醸成もできます。これは皮肉ではなく、重要な装置です。

       1|2 次のページへ

Copyright (c) INSIGHT NOW! All Rights Reserved.