期待に応えることだけが現実であるという状態に一度疑問を持ち出すと、自分の仕事に向かい合う「本当の気持ちのようなもの」を探し始めます。表立ってではなく、密かに自分探しをする人、となるのです。
仕事だけが人生じゃないと、趣味にいそしもうと思ってみたり、ボランティアなどの社会貢献にチャレンジしてみたり、そんな人も少なくありませんが、けれども、結局、仕事で手応えを得たいと考えたい人は、仕事以外でその穴を埋めることは難しいのです。
また面倒なことに、周囲を見渡すと、それこそ“キラキラ”という表現がピッタリな感じで仕事をしている人の存在が、自分のやりたいことについて悩んでいる人たちの心を悩ませます。
「志を大切にしたい」とか「想いをカタチにしたい」という表現で、今の自分の仕事がいかに意味のあることなのか、社会に貢献しているのか、自分がやりたいことだったのか、ということをソーシャルネットワークなどで力説し、それに関する充実した日々を投稿しているのを見ると、うらやましいと感じたり、焦ってしまったり。
四十而不レ惑(しじゅうにしてまどわず)。そう、人生40歳になったら惑わない、といわれてきたはずなのに、結果として惑ってばかりになってしまう。いや、もしかしたら、この歳になったからこそ、改めて惑いが生まれた、といっても過言ではないのかもしれません。
かつては「仕事をする=組織内で貢献し、出世をする」という図式が成り立っていました。その仕事の意味を深く考えたり、自分のやりたいことを追求したりしなくても、ただ、目の前にあることをこなしていれば、それが仕事をしていることになっていたのです。しかし、今、それが当たり前であるという人は、あまりいないでしょう。
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