やりたいことが見つからない……不惑にして惑う、中間管理職サカタカツミ「新しい会社のオキテ」(1/3 ページ)

» 2014年07月14日 09時10分 公開
[サカタカツミ,Business Media 誠]

著者プロフィール:サカタカツミ

 クリエイティブディレクター。就活や転職関連のサービスをプロデュースしたり、このような連載をしていたりする関係で、そちら方面のプロフェッショナルと思われがちだが、実は事業そのものやサービス、マーケティング、コミュニケーションの仕組みなどを開発するのが本来の仕事。

 直近でプロデュースしたサイトは「CodeIQ」「MakersHub」。著書に『こんなことは誰でも知っている! 会社のオキテ』『就職のオキテ』。この連載についても、個人的に書いているブログでサブノート的なエントリーを書く予定。Twitterアカウントは@KatsumiSakata


 「やりたいことが見つからなくて困っているのです」

 就活生ではありません。これは、ある企業の中間管理職の言葉。人によっては「今さら何を言っているのだ」と叱られそうな台詞ですが、こういう悩み(という表現が適切かどうかは疑問が残りますが)を抱えている中間管理職は、意外に多いのです。

 捉えようによっては冗談とも思える悩みを、深刻な顔をして相談する彼らの偽らざる気持ち。今週はそれを、ほんの少しだけのぞいてみましょう。

孔子は「四十にして惑わず」と言ったそうですが……

働くことに疑問はない。でも、本音は?

 もちろん、中間管理職である彼らは、右も左も分からない無垢な若者ではありませんから、やりたいことが見つからないからといって、すぐに会社をやめたり、働かない、という選択肢を取るわけではありません。

 当然のことながら、ある人は生活のため、またある人は家族のため、また別の人は組織人の使命感から、日々仕事に勤しんでいるわけです。むしろ、その仕事ぶりは真面目で、働くことに何ら疑問を持っているようには見えません。が、心の奥底では疑問だらけ、という人もいると。

 「今の仕事にやりがいはないのかと質問されたら、やりがいはあるという答えになるでしょう」

 冒頭で私に悩みを打ち明けてくれた中間管理職の台詞です。組織から期待されていることも、家族から求められていることもよく理解していて、だからこそ、その期待に十分に応えようと頑張って働いている。相手、つまり組織や家族からの評価も高い。

 けれども、ふと帰りの電車の中で一息ついた時に頭をよぎるというのです。「私のやりたいことはこれなのか」と。働くことに疑問はないけど、でも、やっぱり……と。

期待に応えることとやりたいことは違う、と気づく

 例えば、一定レベルのポジションに就いている人なら、そのポジションに就いている人に期待されていることは、十分に理解しています。同時に、その期待に応えること自体が、仕事をするということとイコールだと考えがちです。仕事ということは、そういうことだとうそぶく人もいるでしょう。

 そのポジションに就きたくて仕方なかった人なら、与えられた仕事、期待されているパフォーマンスを出すことが、自分のやりたいことになるわけですが、そうではない人もたくさんいるはずです。

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