わたしの事務所で入れるコーヒーがおいしいと、時々褒められます。焙煎(ばいせん)したての豆を手に入れ、飲みたいと思った直前に挽き、自分なりに考えた手順に従って毎日入れているだけ、なのですが。
そう説明すると「当たり前のことを当たり前にやる、ということですね」と言ってそれ以上の興味を持たない人がいると思えば、「話だけでは分からないので、具体的にもう一度入れて見せてください」と言う人もいます。
わたしは、自分なりに考えた「こうしたら自分好みのコーヒーが飲める」という手順を、実演しながら説明します。その時、話を聞いている人の取る行動がとても面白い。話しているわたしの顔を見て、熱心にうなずいている人、メモを取るのに夢中になっている人、お湯が注がれているコーヒーのドリッパーの観察に必死な人、スマートフォンの動画として収めている人など、それぞれ個性的です。
そのあと、教えた人に自分でコーヒーを入れてもらうのですが、味に大きな差が出ます。もちろんもともとの上手下手はあるでしょうが、わたしからレクチャーを受けている間の行動に、味の差を生んでしまう原因があるようです。今週は、美味しくコーヒーを入れるための行動として、先に挙げた例のうち、どれがベストなのかという答えを、“新しい会社のオキテ”として考えてみたいと思います。
先日、ある場所で管理職の取材をしていると、相手の方がこんな風に愚痴をこぼしていました。「最近の若手は、本当にメモを取らなくなった。スマートフォンを取り出して、メモアプリに書き込まれるのも抵抗があったが、メモを取らないよりはマシ。メモも取らずに、ただ話を聞いているだけの姿勢にイライラしてしまう」というのです。若手にそれを伝えましたか、と聞くと、
「もちろん。ただ、メモを取るという習慣がないヤツは、結果として続かないのです。言われたら取るけれども、その時だけ。すぐに忘れてしまって、メモをすることがない」
ここまで読んで「おや、変だぞ」と、気づいた人もいらっしゃるでしょう。問題は、メモを取る、取らないではなく、メモを取らないことで「仕事に支障をきたすかどうか」なはずです。もしもメモを取らなくても、仕事が完璧に遂行されているならば、メモを取れと、しつこく言われることがないでしょう。裏を返せば、なぜメモを取らなくてはならないか、その理由をキチンと教えて納得させない限り、メモを取る“必然性”が理解できなくなってしまいます。
叱られたのでイヤイヤながらメモを取ったけれども、結果的にそのメモが役に立って、仕事にミスがなくなったならば、メモの効用が理解でき、自らメモを取るようになるはずです。けれども、メモを取ったが、仕事に特に役だったとは思えず、一度言われたことでも、分からないことが出て来ればまた誰か周囲の人に聞けば解決するから要らなかったな、という状態なら、メモを取る行為が習慣になることはないのです。
なにを当たり前のことを書いているのだとお叱りを受けそうですが、部下に仕事を教えるときに、仕事の方法は教えたとしても(この場合はメモを取れということですね)その意味を(この場合はどうしてメモを取る必要があるのか)ちゃんと教えられている上司は意外に少ない。結果的に、上司も部下も、困った状態になってしまうのです。
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