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インタビュー

会社での経験を“神社ビジネス”に生かす――街おこしのキーマンは「神社経営の変革者」(中編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/3 ページ)

赤坂氷川神社で神職に就く前、日販で企業人として数々のプロジェクトに携わっていた恵川義浩氏。外から神社の世界を見てきた彼の目には、現状の神社業界は非常に危うく見えるという。全国の神社が直面している、廃墟化・倒産の危機とはどのようなものなのだろうか?

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嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 伝統ある粋な大人の街、東京・赤坂で、若い世代の住民を中心とする街おこしが進んでいる。今年3月の「赤坂サカス(AKASAKA SACAS)」オープンにあわせ、約100年ぶりに復活した「江戸型山車」を「サカス」に巡行させるなど、赤坂の街に息づく歴史と伝統を、絶妙な形で現代の文化や催しに結びつけているところがポイントだ。

100年ぶりに復活した赤坂氷川神社の江戸型山車(左)。2007年の巡行のようす(右)

 街起こしの中心になっているのは、赤坂氷川神社の禰宜(ねぎ)・恵川義浩氏(36歳)。この恵川氏、20代のころは一般企業に勤め、数々のプロジェクトを成功させた凄腕のビジネスパーソンだった。30歳になった恵川氏は会社を辞めて神社の世界へ転身、以来革新的な神社経営を進めている。本編では、彼がビジネスの世界で、何を思い、いかにして成功を収めてきたか、その驚きの軌跡を辿ってみたい。

とりわけ、彼の「仕事観」は、「入社3年以内に3分の1が展望もなく退職する」といわれる現代の我々にとって、たいへん示唆に富んだものであり、多くの人々に感銘を与え得るものである。


赤坂氷川神社禰宜、恵川義浩氏

“神社の跡取り”なのに、早稲田大学第一文学部へ

 恵川氏の父親は、赤坂氷川神社の禰宜だった。こういう場合、多くの子弟は国学院大学の神道学科に入学して、卒業後はそのまま後継候補として神社の世界に入ってゆくようだ。ところが、恵川氏は少し違ったコースを歩む。中学受験で早稲田実業に合格し、そのまま内部進学し、早稲田大学の第一文学部に入って中国文学を専攻したのである。

 「子供の頃の『三国志』との出会いが私の人生を変えました。英雄たちの群像に接し、地の利、時の利、人の利、そして、そこに現われるリーダーシップ、人間の運命というものに心を揺り動かされたんですよ」と淡々と語る。

 中国文学科進学というのは、その延長上にあった訳だが、同時に、「将来は神社の跡取り」という可能性も踏まえ、国学院大学の神道学科に通って、神主の資格だけは取っておいたという。

 「大学時代は、本当にたくさんのアルバイトを経験しました。社会に出る前にできるだけ世の中に対する見識を深めておいた方がよいと思ったんです」

 塾講師に始まり、スキー用品店の販売員、水道管の清掃員、飲茶の店での接客業、コンビニ店員などなど……業種を問わず、積極的にいろいろな仕事の現場を体験した。

 仕事というものは、どんなにしっかり調べていても、実際にやってみると、事前のイメージとは大きく異なることが多い。興味のなかった仕事に思いもかけぬ面白さを発見することもあるし、苦手だと思い込んでいた分野で周囲が驚くような成果を上げる場合もある。もちろん、その逆もまた真である。そういう意味で、このアルバイト経験は、彼の「仕事観」の形成に重要な役割を果たしたようだ。

“勘違い”でテレビ朝日の内定を辞退、日販に入社

 やがて訪れた就職シーズン。本好きの恵川氏は、他の第一文学部の学生たちと同様に、出版社を目指した。同時に、テレビ局各局も受験。「でも私は、皆が通うようなマスコミ・セミナーなどの予備校にも通わず、何の準備もしなかったので、面接では負けなしだったんですが、ほとんどの場合、筆記試験で落とされてしまったんです」と笑う。

 それでも、超難関のテレビ朝日にコネなしで合格。さらに出版流通の大手、日販にも内定した。しかし、ここで信じがたい“事件”が起きる。

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