“入浴剤投入”発覚から4年――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(前編):嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(4/4 ページ)
2004年、長野県白骨温泉の一部ホテル・旅館が入浴剤を混入していたという事件を覚えているだろうか。その後全国各地の温泉地で“温泉偽装”が発覚し、水道水を沸かした風呂で入湯税を徴収するなど、悪質な例も多数公表された。あれから4年――沈黙を守ってきた白船グランドホテルの若女将が、事件後初めて取材に応じた。
失われた「乳白色の湯」
ゆづるさんは言う。「私たちは、乳白色の湯ということを自らウリにしたことは、実はないんですよ」。それはそうだろうと思う。温泉宿の若女将として、白骨温泉の硫化水素泉が基本的には無色透明であり、湯船で空気に触れることで酸化し白濁することも、気候や源泉のコンディション次第で、濃くも薄くもなり得ることも、誰よりもよく承知しているからだ。
しかし誰が言い出したにせよ、「乳白色の湯」というキャッチコピーが集客効果に一役買っていることは否定し難く、たとえ「リスキーかな」と思ったとしても、そのコピーをあえて拒否するほどの気持ちにはなりにくかったのだろう。それに、乳白色の湯というのは、そもそも白骨温泉全体のイメージなのであって、白船グランドホテルだけでどうこう言える問題でもなかったからである。
この危険な黙認は、やがて現実の問題となってゆづるさんの前に立ちはだかる。「実は、社長(義父)が風呂場の改装(拡張)工事を実施して以降、ほとんど白濁しなくなってしまったんです。白骨温泉では、宿ごとに源泉を持っています。それまで、白船グランドホテル所有の源泉と、社長の生家の新宅旅館の源泉とを混ぜて使っていたんですが、改装(拡張)に伴って、混合を止め、前者を露天風呂用、後者を内風呂用に分けるようになってからは、どういうわけか濁らなくなりました。主人は、改装(拡張)によって、源泉湧出量と風呂のサイズとのバランスが崩れたからではないかと推測していましたが、正確なことは分かりません」
実際、今見ても露天風呂はほぼ透明だし、内風呂は写真に撮ると、乳白色というよりは、むしろ青白色に近い。ご主人は「いくら何でも大き過ぎる」と、この改装内容には猛反対だったそうだが、それを押し切って決行された工事は、結局、2つの点で禍根を残すことになった。
1つ目。1999年当時、白骨バブルで沸き立っていた頃だが、各旅館とも、急増する客に対応するために改築・増築・建替えなどを検討あるいは実施していた。白船グランドホテルもまた、そうした設備投資の機運の中にいたようだ。しかし、冷静・客観的に考えてみれば、「秘湯ブーム」とは、文字通り「一時的な流行」であって、それが一段落した後どうなるかを見通す「鳥瞰図(ちょうかんず)的視点」が必要だったはずである。そして白骨バブルの崩壊後、そのツケが大きく重くのしかかってくることになった。
2つ目。これは上記の通り、湯が白濁しなくなったことである。すなわち、旅行代理店のパンフレットや観光ガイド本にあるような乳白色の湯というキャッチコピーと、現実との間に乖離(かいり)が生じたのである。その結果、とんでもないことが起き始めた。
「乳白色の湯」の呪縛、ついに入浴剤投入
「乳白色じゃないということで、お客様たちから苦情がたくさん寄せられるようになりました。私はそのたびに、『温泉は生き物なので色も時々刻々と変化するんですよ』というご説明をしましたが……」。白骨温泉を訪れる客は、何も乳白色という色に対してお金を払っているわけではなく、大自然や食事、泉質、各種もてなしの総体に対して払っているはずだが、数ある温泉の中、白骨温泉をあえて選択する際「1つの有力な判断材料」に、乳白色の湯というファクターがあったことは否定できない。
そんな客たちが実際に白骨温泉を訪れたとき、期待に反し湯が透明だったならば、だまされたような気持ちになることは容易に想像がつく。「温泉は生き物だから……」とどんなに説明しても、中には「夢が壊された」「せっかくの旅が台無しになった」などと、猛烈に抗議してくる人々もいただろう。
宿の現場としては、一刻も早い抜本的な対応策が必要だった。「そうした苦情や問い合わせがあまりにも多かったせいでしょうか、社長が気にするようになりまして、透明度の高い時には入浴剤(六一〇ハップ)を入れることになったんです。これによって確かにお客様からの苦情はなくなりました」
当時の温泉法(1948年制定)は、源泉部分で湯温が25度以上、もしくは指定する19物質のうち、どれか1つでも規定以上含まれていればよい、という極めて緩やかなもので、ましてや湯船の泉質については、明確な規定はなかった。それゆえ着色のために入浴剤を入れても、それが直ちに問題になるようなことはなかったのである。
嘘も方便と言うべきか、当時としては、客とのトラブルを回避し得たことの安堵感が大きかったのかもしれない。確かに短期的には、1つの解決策として機能したのだろう。しかし日本社会をめぐる環境変化は急速に進んでいた。平成大不況に沈む中、日本の生活者には、「ホンモノ」「製造物責任(PL)」「ディスクロージャー(情報公開)」がかつてない広がりを見せ始めていた。企業行動あるいは製品・サービスに対する世間の見る目は、以前より格段に厳しいものになっていたのである。
それに加えて、終身雇用・年功序列制度の崩壊、リストラの横行による企業への忠誠心の喪失と、それに伴う内部告発の増加も、経営側にとって看過できないリスクとなってのしかかってきていた。こうした環境変化を考えたならば、入浴剤投入は、極めてリスキーな選択であったはずであり、そのことに気付くべきだったと思われる。
こうして「カウントダウン」は始まった……(中編に続く)
→“入浴剤投入”発覚から4年――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(前編・本記事)
→田中康夫県知事が踏み込んだ、その時――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(中編)
→涙の会見後、何が起きたのか――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(後編)
→“本物”の温泉とは?――ポスト秘湯ブームの今、満足できる温泉に出会う法(番外編)
嶋田淑之(しまだ ひでゆき)
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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