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効率化の果てに「待つ」ことを忘れた私たち(2/2 ページ)

時間を効率化して使うことは問題ではない。むしろ奨励されるべきだ。しかし、そこには常に「即席文化」を生む力が働く。そして最も恐るべきは、時間に人間が使われるようになることだ。

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「待つ」ことを我慢しなくなった私たち

 「待つ」

 その時間が実は豊かな何かを育んでいたと感じるのは、私だけだろうか。私たちは「待つ」ことを我慢しなくなった。

 忙しいとは、心を亡くすと書く。試しに、過去1年、3年、5年を振り返ってみてほしい。高速回転で動き、量をこなしてきたけれど、そこに心はなかった……(愕然)なんてことになりはしないだろうか。

 私の人生時間の主人は、私である。

 2012年も明けてすでに2週間が過ぎた。この分でいくと、間もなく進入学の春が来て、夏が始まり、気がつけば秋になっているだろう。時間に使われないためには、1日、1日、心をしっかり置き留めて進んでいくことである。

 心を置き留めるとは、スピードや効率化の流れに受動的に巻き込まれるのではなく、立ち止まるべき時は焦らずに立ち止まり、待つべき時は辛抱強く待ち、1つ1つのやるべきことを「これでいいのだ」という自信のもとに、自分の心のペースで動かしていくことだ。そして5年、10年の時間レンジでどっしりと構えられる肚を持つことだ。1日1日の中身をきちんと詰めていけば、未来には相応のきちんとした果実が成るように人生はできている。

 私は、効率的に作られたワインやチーズを食したいとは思わない。良いものを食べたければ、1年待つことをするし、10年かかるのであれば、それを楽しみに10年待つ。そして何より大事なことは、自分も1つの生産物だとすれば、自分自身が即席ものにならないことだ。

 「未来について一番良いことは、それが1日1日とやってくること(The best thing about the future is that it only comes one day at a time)」──第16代米国大統領エイブラハム・リンカーン(村山昇)

 →村山昇氏のバックナンバー

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