松井秀喜がバットを置いたワケ:臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(3/3 ページ)
松井氏の身体は限界を迎えていたのだ。日本に戻ってプレーするには「自信が強くは持てませんでした」と彼はいう。2009年秋から急速に衰えていった理由は何だったのか。
筋トレと決別は最善の選択だった
このスイングスピードの低下と因果関係にあったことこそ、実は前出の「筋トレ禁止令」だった。2003年にヤンキースへ移籍すると一流メジャーリーガーたちとのパワーの違いを痛感させられた松井氏は徹底した筋力強化に取り組み、2004年のオフには7キロもの増量によって体重が110キロとなり、大幅な肉体改造に成功する。
高速のスイングスピードも安定し、さらに少々詰まっていたとしてもパワーによって打球の飛距離を伸ばすことも可能になっていた。だがA氏から筋トレを禁じられたことでヒザの痛みはなくなったものの、その代償としてせっかく身につけていたパワーがどんどん低下してしまった。
「筋トレをほとんどやらなくなったことで、エンゼルスでプレーした2010年以降はスイングスピードにもバラつきが出てパフォーマンスが急降下していった。打球も飛ばなくなり、本塁打や長打ばかりか単打の数も激減。力強さが消えた彼のバッティングは、いわゆる『軽い打撃』になってしまっていたのです。アスレチックスの一員として参加した2011年の春季キャンプで松井氏のフリー打撃の“通算サク越え数”は、なんと0本。練習時点ですら打球を飛ばすことができなくなった松井氏の衰えは誰の目にも明らかでした」(前出のメジャー関係者)
それでは松井氏が仮に筋トレを止めなければ、パフォーマンスは低下することなく今も現役でプレーし続けていることができたのであろうか。答えは「NO」である。松井氏のヒザの痛みは間違いなく2009年の時点で限界に達していた。もしA氏との接点がなければヒザは完全にパンクし、選手寿命も3年短くなってしまっていた可能性すらあった。
A氏の助言によって松井氏のヒザの痛みはなくなり、選手寿命を“延命”できたのだ。実際に松井氏に近い関係者の間では「選手を引退するだけなら、まだいい。もしA氏の助言を耳にしなければ、彼はヒザ痛を一生抱え込み、杖か車椅子を普段の生活において手放せなくなっていたかもしれない」という声も出ていたほど。
松井氏にとって当時のヒザの痛みは「筋トレ禁止令」を受け入れなければならないほど、われわれの想像を絶する深刻なレベルに達していた。つまり筋トレと決別したのは、最善の選択だったと言えるだろう。
自分が考えて決断したことに後悔はない
松井氏は引退の会見で「やり残したことはあるか」と問われ、こう言った。
「今振り返ると結果論になる。いくつか、そういうことは出てくる。でも、そのときの自分が考えて決断したことに後悔はないです」
そう――。ゴジラ伝説を振り返るときに「たられば」は必要ない。松井氏が日本球界とメジャーリーグで築き上げた数々の歴史、そして懸命に苦難を乗り越えながら必死に戦い続けた多くのドラマをわれわれは決して忘れないだろう。
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