オリンピックが開催されても、鉄道網が整備されない理由:杉山淳一の時事日想(2/6 ページ)
2020年東京オリンピックの開催決定で、交通インフラの整備が活気づく。しかしJR東海はリニア中央新幹線の前倒し開業を否定、猪瀬都知事も鉄道整備に消極的だ。オリンピックは鉄道整備の理由にならない。それは1964年の東京オリンピックの教訓があるからだ。
1964年東京オリンピックの交通整備は失敗だった?
1964年の東京オリンピックで整備された交通基盤を振り返る。「東京オリンピックのため」として整備が急がれた交通基盤は5つ。鉄道は東京モノレール羽田線、東海道新幹線、道路は首都高速1号線など一部区間、環状7号線西側区間、六本木通りだった。地図上に競技会場をマークすると、これらの路線が東京にとってどんな意味があるかよく分かる。
東京モノレールは羽田空港から都心へ向かう。当時は途中駅がなく、ノンストップだった。首都高速は羽田空港と主要会場の代々木、外苑地域を結ぶ。経路上は柔道会場の日本武道館、ボクシング会場の後楽園があった。六本木通りは皇居から外苑地域南側をサポートするルートだ。環状7号線は羽田空港付近の平和島から第二会場エリアともいうべき駒沢を経由し、戸田(ボート競技)、朝霞(射撃・馬術)、所沢(クレー射撃)のアクセスを改善した。
こうしてみると、いまとなっては東海道新幹線の立ち位置が不明瞭だ。関西からのオリンピック観戦客のアクセス向上という名目はあっただろうけれど、実態としては世界に対する日本の技術のアピールだった。政策路線とも言える。1970年に開催された大阪万博の開催決定は1965年だから、オリンピックと万博の両方の旅客輸送を見据えたわけではない。新幹線あっての大阪万博決定だろう。
これらの交通基盤はオリンピック開催時は機能したかもしれない。しかし、その後は能力や機能の貧弱さに悩まされる結果となった。片側2車線の首都高速、環状7号線、六本木通りは渋滞が慢性化し、東京モノレールはオリンピック後に国内外からの航空旅行需要が激減して赤字体質となる。
東海道新幹線は営業的にも大成功を収めた。しかし、オリンピックに開業を間に合わせるために突貫工事が行われ、それが原因で施設の耐久力が低かった。国鉄時代の1974年から1981年まで、水曜日の午前中を運休したリフレッシュ工事を48回も実施している。そして2013年4月から第2次リフレッシュ工事に着手している。今回は運休はしない。しかし、将来は鉄橋を掛け替えるなどの処置も必要だ。JR東海がリニア中央新幹線を急ぐ理由のひとつが東海道新幹線の老朽化である。
これらの路線は、オリンピックを掛け声に整備を急ぎ過ぎたため、能力が小さくなったり、後の改良が必要になっている。1964年当時は東京の都市基盤が全く整っていなかったため、これらの建設計画の判断は間違いだったとはいえない。必要な整備だった。しかし、JR東海も都知事も、2020年の東京オリンピックで同じ轍(てつ)を踏みたくないのだ。
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