ご存じ? バス停留所で生まれた、新たなビジネスモデル:杉山淳一の時事日想(3/4 ページ)
自宅の最寄りのバス停が、ある日突然カッコよくなった。屋根がつき、ベンチが付き、ガラスの掲示板にバスの情報がしっかり掲載されている。壁にはオシャレな広告も入っていた。最近、都内ではこのスタイルのバス停が増えているようだ。仕掛け人は……。
2003年の規制緩和がバス停改革につながった
JCDecauxはフランスを拠点として屋外広告メディアを展開する会社で、その中心事業が「まちなかに広告看板を設置して、道路に必要なインフラ整備と維持管理を実施する」という「ストリートファニチャ事業」だ。現在56カ国3700都市でビジネスを展開し、100万基以上の広告パネルを運営しているという。バスシェルターもそのひとつで、同社はB-Stop(R)と呼んでいる。この事業の日本展開のため、2000年にエムシードゥコーが設立された。しかし、ただちにB-Stop(R)に着手できなかった。日本では道路及びバス停留所は公共物であり、広告の掲示が制限されていたからだ。そのため、エムシードゥコーの最初の事業は商業施設での広告媒体事業(モールスケープ)となった。
2003年1月に国土交通省はバス停の規制緩和を実施する。国土交通省道路局長名の国道利第23号通達「『ベンチ及び上屋の道路占用の取扱いについて』の一部改正について」と同第25号通達「バス停留所に設置される上屋に対する広告物の添加に係わる道路占用の取扱いについて」だ。そして警察庁が交通局交通規制課長名で警察庁丁規発第8号「バス停留所の上屋に関する道路使用許可の取扱いについて」を発令し、バス停留所などの公共空間における広告物の掲示が可能となった。
2003年3月、岡山市でエムシードゥコーのB-Stop(R)が始まる。採用したバス事業者は両備バスだ。両備バスを展開する両備グループは公共交通事業の改革に熱心に取り組み、中国バスや南海貴志川線(和歌山電鐵)の再生、破たんした井笠バスの路線継承などで知られている。代表の小嶋光信氏は公共交通改革に熱心に取り組むパイオニア的な存在で、バス停の規制緩和も両備グループから関係各所への積極的な働きかけがあったという。
バス停の規制緩和に先駆けて、2002年にバス事業の規制緩和が実施され、新規参入や路線改廃が弾力的に行われるようになった。しかしその弊害として岡山市では経営不振のバス会社による顧客争奪戦が繰り広げられ、経営状態はさらに悪化、利用者に公共交通に対する不信感が広がってしまったという(参照リンク)。こうした公共交通に対する危機感が両備グループを動かし、国を動かした。そのひとつが「広告モデルによるバス停の景観整備」といえそうだ。
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