被災路線をあえて手放す、JR東日本の英断:杉山淳一の時事日想(4/4 ページ)
JR東日本は山田線被災運休区間の地元自治体への譲渡を提案した。地元は鉄道を望み、JR東日本はBRTを固持してきた中、これがJR東日本からの最後の提案となるだろう。地元は素直に受け入れられないようだが、これがベストプランだと思われる。
三陸鉄道への追い風に乗れ
三陸地域の鉄道建設のきっかけは118年前にさかのぼる。1896年に起きた明治三陸地震だ。この時の大津波で沿岸地域が孤立し、物資の輸送が滞った。そこで復興策のひとつとして三陸地域の縦貫鉄道建設が立案された。当時は国鉄が運行する予定だったが、国鉄の赤字問題で建設は中断。途中まで開業していた路線は廃止。それを引き継いだ会社が第三セクターの三陸鉄道だ。
三陸縦貫ルートは当時の国鉄にとって、東北本線の迂回策としての役割もあっただろう。常磐線のように、関東と北東北、北海道を結ぶ路線の二重化として期待できた。しかし、2年前の記事で紹介した復興燃油輸送作戦によって、東北本線の迂回ルートは日本海経由で十分だと実証されてしまった。従って、JR東日本にとっても、JR貨物にとっても、山田線沿岸区間を維持するメリットは少ない。こうなると地域の鉄道として活用する以外は存続のすべがない。
山田線は復旧させたうえで地元自治体に譲渡され、赤字の負担も検討してもらえる。かなり恵まれた条件だ。震災前から分断状態だった三陸鉄道は1本の路線にまとまり、車両基地の統合や車両の運用などの効率化も期待できそうだ。そして、なによりも、観光列車を走らせる土壌として申し分ない。三陸鉄道も山田線沿岸区間についても、定期利用客が期待できない以上、観光重視の路線として再生させなくてはいけない。欲を言えば貨物輸送の再生にも取り組んでほしい。
4月に現在の三陸鉄道が全線開通する。NHKのドラマ『あまちゃん』ブームの余韻も残る。復興観光需要も残っている。この追い風の時期こそ、山田線復旧、三陸鉄道統合のチャンスだ。その勢いによって、仮復旧としてBRT化された大船渡線にも鉄道復活の兆しが現れるかもしれない。
鉄道会社が路線を譲り渡す。それは鉄道会社にとってプライドを削り落とすようなものだ。これを「切り捨て」としか見られないとは情けない。提案を受けた自治体各位は、これをチャンスだと前向きに捉えて、沿線住民(と鉄道ファン)の鉄道復活への期待に応えてほしい。
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