“納豆不毛地帯”の大阪で、なぜ小さな店の納豆がヒットしたのか:仕事をしたら“ストーリー”ができた(2/6 ページ)
「関西人は納豆が嫌い」と言われている中で、大阪の東部にある大東市で注目されている納豆メーカーがある。その名は「小金屋食品」。従業員数が10人も満たない小さな会社が、なぜウケているのだろうか。
小金屋食品のストーリー
土肥: 大阪の東部に大東市(だいとうし)というところがあって、そこに小さな納豆メーカー「小金屋食品」があります。「大阪の人はあまり納豆を食べないのに、なぜ納豆屋があるの?」と思われるかもしれませんが、実はよく売れているそうですね。
川上: なぜ地元の人だけでなく、いまや全国にファンがいるのか。商品へのこだわりはもちろんあるのですが、それだけではないんですよ。この会社には「物語」があるから。
土肥: 物語? どういうことでしょうか?
川上: 小金屋食品の創業者(現社長の父親)は、第二次大戦後に丁稚奉公(でっちぼうこう)として山形から大阪に出てきました。山形の人は納豆をたくさん食べますが、当時の大阪の人はほとんど食べていませんでした。なぜ大阪に来て、納豆作りの仕事に携わろうとしたのか。それは「あえて一番厳しいところでやろうと思ったから」。経営学の言葉で言えば「ブルーオーシャン戦略」(競争のない未開拓市場のこと)で挑みました。
創業者は納豆の作り方をイチから学び、その後独立。夫婦で小さな工場を経営して、納豆嫌いが多い大阪人が食べたくなるような納豆作りを続けていました。徐々にファンが増えてきたのですが、火事で工場は全焼。これまで築き上げたものを失うわけですが、彼はそこから立ち上がるんですよ。会社を1年で再建させ、その後再び納豆作りに情熱を注ぎました。
阪神・淡路大震災のとき、なんとか被災を逃れた取引先から注文がきました。ただ、神戸方面への物流がストップしていたので、納豆を運ぶことができません。多くの人はそこであきらめるのではないでしょうか。しかし、創業者は違った。家族は反対したそうなのですが、「ウチの納豆を楽しみにしているお客さまが待っている」と言って、往復19時間もかけて納品したんですよ。
その後、創業者はガンを患います。最後の言葉は「あのな、もう1個作りたい納豆があるねん」。本人は自分が亡くなるとは思っていなかったようで、まだまだ納豆を作るつもりでいたのです。
土肥: で、いまの社長が2代目ですか?
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