なぜLINEの「既読スルー」にイラッとするのか コンセンサスなき紛争:烏賀陽弘道の時事日想(4/5 ページ)
LINE、Twitter、FacebookといったSNSの利用をめぐってトラブルが相次いでいる。PCやスマホなどから気軽に自分の言葉を発信できるのが大きな魅力なのに、なぜトラブルが起きてしまうのか。
Facebbokの「いいね!」をめぐっての摩擦
Facebookの「いいね!」をめぐる摩擦もある。奥さんや彼女がその日の献立や、子どもが野球やサッカーチームで活躍する姿、ペットの愛らしい姿の写真・動画などをアップしていた。が、旦那や彼氏が「いいね!」ボタンを押さなかった。すると「無視している」と怒られた、機嫌が悪い、もう私なんか興味がないのねと泣かれた、などなど(もちろん、男女逆もある)。
奥さん・彼女側は自分の投稿に「いいね!」を押さないことは「自分への関心や興味が低い意思表示」と認識している。しかし、旦那・彼氏側にはそんな認識はない。実は「ああ、がんばっているなあ」と内心では感動しているかもしれない。ただ単に「いいね!」ボタンを押さなかっただけかもしれない。両者の間にはコンセンサスが存在しないのだ。
反対に、PTAや地元商店会、ご近所などで自分と対立する人物の投稿に「いいね!」を押した人を全部チェックして、それを「敵」とみなす人も実在する。私はそんなことを考えたこともないので驚愕(きょうがく)する。
人間のコミュニケーションには「快・不快」の了解事項が長年の間にできあがってきた。直接対面型のコミュニケーションだと、その多くは「礼儀」として広く了解されている。日本人だと最初に頭を下げて礼をするし、欧米人は握手する。どちらも「敵意や攻撃の意思がない」という表明である。「相手の話をさえぎらない」「相手の目を見ているのは、聞いているという意思表示」「相づちを打っても賛成しているとは限らない」など、さらに細かい了解事項も多数ある。
ここにメディアが介在するようになっても、いろいろな了解事項ができていた。手紙の約束事や礼儀作法(例:拝啓で始めたら敬具で結ぶ、など)は「手紙辞典」という本になって売っていた。忌中の人は年賀状を出さない、というのもそのひとつだ。
そこまで遡(さかのぼ)らなくても、私が十代のころは、携帯電話が登場する前だったから「固定(有線)電話」が主流だった。そこでは「相手がまだ話しているのに、途中で電話を叩き切る」のは非常に無礼な行為とされた。それこそ宣戦布告か国交断絶にも等しい行為だった。私の母親(1939年生まれ)は礼儀にうるさかったので「目上の人より先に切ってはいけない」「大きな音でガチャンと受話器を置くのは失礼」と若者だった私に口を酸っぱくして言っていた。
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