福島第一原発から約6キロ、ある家族の「一時帰宅」に同行した:烏賀陽弘道の時事日想(2/5 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、原発事故で避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行、そこで目にしたものは……。
地方では数少ない大きな仕事先
ワゴン車は常磐自動車道を北に走った。西原さんの「家」がある富岡町夜ノ森(よのもり)までは65キロほどある。途中で「広野インター」を通り過ぎた。原発周辺が半径20キロの「立入禁止区域」(警戒区域)で区切られていたときは、ここが高速道路の終点だった。チェックポイントで線量計と防護服、無線通話機のセットをくれた。2012年7月に原発から3キロの双葉町住民の家への一時帰宅に同行したときには、私もここで検査を受けた。
問わず語りにそんな雑談をしていると、千賀子さんが言った。
「あなたみたいに、事故の後に東京から来た人は『フクイチ』『フクニ』って言うでしょ? 地元じゃ違うのよ。『イチエフ』『二エフ』って言うのよ」
清士さんは助手席でうなずいている。
聞けば、清士さんはバルブ検査の会社で長年働いていたという。福島第一原発、第二原発とも「職場」としてよく出入りしていた。1990年に福島第一原発6号原子炉の工事のときに東京から富岡町に引っ越してきた。
「それからずっと、原発のお仕事ばっかりでしてね」
清士さんは笑った。地震当日も、午前中まで「イチエフ」で仕事をしていた。午後は半休を取って自宅に戻ったので、難を逃れたという。
私はあまり驚かなかった。福島県太平洋岸部では原発関連の仕事をしている人は非常に多い。原子力や電力に直接関係がなくても、トラック輸送や電設工事でも原発関係の仕事はある。これまで避難者の取材で何人もそういう人に話を聞いた。原発の仕事をしていたのに、その原発の事故で家を追われるというのは痛々しい話に思えた。2つの原発はここ「浜通り」地方では数少ない大きな仕事先だったのだ。
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