福島第一原発から約6キロ、ある家族の「一時帰宅」に同行した:烏賀陽弘道の時事日想(3/5 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、原発事故で避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行、そこで目にしたものは……。
行政が強圧的で、家を追われた被害者が遠慮
「常磐富岡インター」で高速を降りる。道路の両側は、除染で出た放射性廃棄物を詰めた黒いプラスティックバッグが積み上がって、まるで土手のようだ。
「こんなところ除染して、どうするんだろう」
「本当にねえ」
「どうするんでしょうねえ」
黒いプラスティックバッグの土手が途切れたところに「スクリーニング場」という掲示が見えた。プレハブ物置のような詰め所の前に、青い制服の係員が10人ほど立っている。「原子力災害現地対策本部」。ゼッケンにそんな文字が読める。1人が赤い警戒棒を振ってクルマを誘導した。
「お疲れさまです!」
「大変申し訳ありません!」
係員は礼儀正しかった。帽子を取り、深々と礼をする。許可証と運転免許証を調べる。防護服と線量計、無線機の「一時帰宅キット」を人数分くれた。クルマに乗ったまま、手続きは5分足らずで完了した。
あえてクルマを降りたのは、仮設トイレを使ったからである。立ち入り禁止区域は上下水道が止まったままだ。内側ではトイレが使えないのだ。
職業的習性で、係員にカメラを向けたら、帽子とマスクの間の目が急に険しくなった。
「こら、写真撮るな!」
ぎょっとするような怒声だった。
「ほらほら、止めて止めて!」
千賀子さんが私を制した。
とはいえ、どうして撮影がいけないのか、理由が分からない。記者だとも名乗っていない。が、西原さんに迷惑がかかるといけないと思ってそれ以上はシャッターを切るのは止めた。
「ありがとうございました!」
「お気をつけて!」
元気よく頭を下げる係員たちがサイドミラーで小さくなっていった。
何かに似ていると思ったら、ドライブスルーのファストフードチェーン店によく似ていた。制服の係員も、いかにもマニュアル通りといった感じのあいさつも、よく似ていた。撮影を止めた時のあのとげとげしい声を除けば、だが。
「向こうはこっちのクルマのナンバーを記録してるんだから。何があるか分からないでしょ?」
千賀子さんが言った。私は黙っていた。原発事故の責任を負う行政が強圧的で、家を追われた被害者が彼らに遠慮しているのも奇妙だと思ったが、ここでそれを議論してもしょうがない。
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