福島第一原発から約6キロ、ある家族の「一時帰宅」に同行した:烏賀陽弘道の時事日想(4/5 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、原発事故で避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行、そこで目にしたものは……。
散髪に行かないままの頭のよう
クルマはJR夜ノ森駅の前を通り過ぎた。ここまでは何度か取材に来たことがある。富岡町は、市街地の真ん中を「立ち入り禁止区域」と「立ち入りはできるが、居住してはいけない区域」の境界線がぶった切っている。常磐線の線路を渡ると、向こう側に立入禁止区域が広がっている。
街に人気がない。除染作業のクルマだけが走っている。すれ違うのは、ダンプ車や、作業員を乗せたゼネコンの社名入りのワゴン車ばかりだ。
境界線はショッピングモールを半分に分断していた。地震で前面ガラスが割れたままのレンタルビデオ店やカラオケ店が煤(すす)け、枯れ草に埋もれていた。ヨークベニマルの駐車場のクルマはタイヤの空気が抜け車体が錆(さ)びていた。
境界線が道路を横切る線状に、可動式の金属フェンスがあってガードマンが立っていた。ここが立入禁止区域の検問である。
簡単な許可証と身分証のチェックがあって、ガードマンがゲートを開けた。クルマはそろそろと進んでいく。
風景が朽ちていた。住宅や商店は埃ですすけていた。生け垣や庭木、街路樹が伸び放題になっている。アスファルトの割れ目から伸びた雑草が冬がれて倒れていた。4年が経って、植物が野生に戻ろうとしているようだ。街全体が、散髪に行かないままの頭のように見えた。
私はここに入るのは初めてだ。しかし西原さん夫妻にとっては20年間住み慣れた街である。
一時帰宅は半年ぶりだ。2014年から年に15回ほど帰宅できるようになった。それまでは3カ月に一度ほどだった。
しかし、頻度は徐々に減っている。高い線量のため、1回の帰宅が5時間に制限されているのだ。それもチェックポイントから入り、出るまでが5時間である。午後3時ごろには出て、被ばくした線量のチェックを受けなければならない。家まで行っても、とても片付けきれないのだ。そして次は数カ月後、いつ帰宅の順番が回ってくるのか分からない。
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