フクシマの被災者たちは忘れられつつある――社会の「忘却」は“残酷”:烏賀陽弘道の時事日想(1/7 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、避難生活を続ける人は、福島県だけでまだ約12万2000人(2014年末)もいる。避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行した。
烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:
フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。
前回に引き続き、福島県富岡町の「強制避難」「立入禁止」が続く「帰還困難区域」への一時帰宅に同行した報告を書く。福島県いわき市にある仮設住宅で暮らす、西原清士さん(63)・千賀子さん(65)が「一時帰宅」への私の同行を快諾してくれたのだ。こうした立入禁止区域に家がある人たちは今も数カ月に1回、1回5時間の帰宅しか許可されない。東日本大震災から4年が経っても、こうした避難生活を続ける人は、福島県だけでまだ約12万2000人(2014年末)もいる。
富岡町夜ノ森にある西原さん宅に到着して、私は息を呑んだ。門は雑草と伸びた庭木に埋もれて、そこが門だったことも分からない。人間の背丈ほどに伸びた雑草が枯れて倒れ、庭だった地面を覆い尽くしている。鉢植えの観葉植物でしか見たことがないアイビーが2階建ての家を包み込もうとしている。
「手入れをしていたときは、もっときれいだったんですよ」
清士さんがつぶやいた。
「フェンスに沿って色の違うあじさいを植えていったんですよ……ピンクとか紫とかね」
千賀子さんが指差すほうを見ると、茶色く枯れたあじさいが見えた。
腰をかがめ、雑草の隙間から草の葉を摘むと、指先で揉んで匂いをかがせてくれた。ミントだった。
「ここにはレモンバームやタイムも植えててね……フレッシュハーブティーを作るのが楽しみでねえ」
千賀子さんは懐かしむように言う。
「楽しい日々でした」
「住むにはいい場所だったねえ」
2人はつぶやいた。2011年3月11日以前の庭を思い出しているのだろう。
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