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フクシマの被災者たちは忘れられつつある――社会の「忘却」は“残酷”:烏賀陽弘道の時事日想(2/7 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、避難生活を続ける人は、福島県だけでまだ約12万2000人(2014年末)もいる。避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行した。
思い出の品々がずっと捨てきれず置いてある
玄関を開けて中に入る。地震で落ちた品物が床に積み上がったままなのかと思いきや、意外にもがらんとしていた。地震後初めて帰宅した2011年6月、そうしたごみを出した。90リットルのゴミ袋が36個になった。以後、少しずつ片付けた。が、ずっと電気が止まったままの冷蔵庫は開けたことがないという。扉に手をかけても動かない。中の食品に生えたカビでくっついてしまったのだろう。他の一時帰宅先で見たことがある。
千賀子さんがクロゼットから清士さんのスーツやジャケットを出す。
「捨てがたいよね」と千賀子さんが言う。「もういいよ」と清士さんは言ってアイビー風ジャケットをゴミ袋に詰めた。
押し入れを開ける。千賀子さんの愛読書だった日本文学全集。清士さんの『ハリー・ポッター』。30歳になる一人息子の小学校の卒業式の祝辞。部活動で使ったテニスラケット。フィルムカメラ。そんな思い出の品々がずっと捨てきれず置いてある。
「(一時帰宅しても)いつも2時間くらいしかいないんです。捨てるものはもう捨ててしまったし……」
千賀子さんはため息をついた。
「……いるとつらいんです……(家に戻って)来ると取って置きたくなる……それが嫌なんです」
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