電車の運転が、つまらないんです:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(3/3 ページ)
世の中には「楽しい仕事」と「つまらない仕事」がある。いや、そうではない。どんな仕事でも「楽しくできる人」と「辛いけど我慢する人」がいる。仕事なんてつまらなくて当たり前、という考え方もあるけれど、楽しいほうがいいに決まってる。どうすれば楽しくなるか、どうすれば辛さを軽減できるか。
IT技術の進化に縛られる熟練技術
「杉山さん、電車でGOってゲームは好きでしょう」
「うん、あんまり得意じゃないけど」
電車でGOは、タイトーがゲームセンター向けに展開し、後にテレビゲーム機向けなどで販売した電車運転ゲームだ。駅を発車してスピードを上げ、所定の速度に達したら加速をやめて惰性運転になり、駅に近づいたらブレーキをかけて、所定の停止位置にピッタリ停める。この繰り返しだけど、運転席からの眺めが実際の路線風景に似ていて飽きないし、所定の位置に停めるという動作が難しい。
「駅に停めるってだけでも、いろんなパターンがありますよね」
「そうだね。ある程度速度を高めに保って駅に進入して、強めのブレーキで停める場合もある。あるいは、駅のかなり手前からブレーキをかけて、ゆっくり駅に進入して、穏やかに停止位置に近づく。あれって、実際もそうなの?」
「そうです。必要に応じて使い分ける感じです。列車が予定時刻より遅れ気味なら、駅の進入速度は高め。時刻にゆとりがあったり、雨で滑りやすい日は、なるべく穏やかに。満員の車内を考えると、急な操作はしたくないですから」
「ああ、ゲームでも経験するな。ダイヤを守るためにスピードは高めにするけど、急ブレーキをかけると車内の様子が表示されて、お客さんがキャッ、ていうね。あれは見たくない」
「そういう臨機応変の使い分けが、今の安全システムではやりにくいんですよ」
彼が言うには、最新のATCは、駅に停車するとき、進入時の速度から停止に至るまでの速度制限が時速5キロメートル単位で厳格に決められているという。「穏やかな停車」の場合は問題ない。しかし速度を高めに進入した場合、規定以上の速度だと強制的にブレーキがかかる。駅の進入時は制限速度以下でも、ホームの半ばで規定の速度を超えたら、そこで強めのブレーキ作動となる。これが急ブレーキのかかり始めに似て、お客さんにショックが伝わるという。
駅間の所要時間を短縮するためには、駅に進入してから停車するまで、なるべく高めの速度で走りたい。駅の進入時に強めのブレーキをかける方法もあるし、ホームの途中で強めにブレーキをかけて、最後に途中でちょっと緩めてお客さんに動揺を与えない、という方法もある。いわば熟練の技であり、運転士によってクセが出る。それは裁量の範囲内と言えた。ところが、最新のATCは、模範解答の運転パターンが1つあって、それに沿わないとダメ、となっているという。
「しかも、ATCがブレーキを作動させた場合、会社に報告する義務があるんです」
「運転士の熟練の技術や裁量は認めませんよ、機械になりなさいってことだね」
つまり、彼の運転のクセが、ATCの模範運転パターンとはズレているわけだ。彼の身になって考えると気の毒な話だ。仕事をする以上、なるべくストレスは排除したい。できれば楽しくやりたいと私も思う。
「報告がユウウツなんですよね……悪いコトしたのかなって」
「でもそれって、始末書と言うよりは、運転士のクセとシステムの調整に役立たせるためかもしれないよね」
「そうなのかなあ」
乗客の立場としては、鉄道会社が安全システムを整備しくれる状況は良いことだ。彼には申し訳ないけれど、運転の楽しさは、私たち乗る側にとって関係ない。しかし、仕事をするからには楽しいほうが良いと思うし、運転士さんがやりがいを持って運転してくれているなら、こちらも多少は気分が良くなるというものだ。
仕事をする人の裁量を奪い、きっちりと型にはまった作業を強制する。それが果たして良いことか。そこから生まれるストレスは、なにか別のミスや危険を誘発するかもしれない。一方で「型にはまった仕事をきっちりやる」という達成感もあると思う。
どんな状況でも、小さな楽しみを見つけて意欲を高められる。そんな性格の人は得だ。さて、この問題、仕事の手順・規定の問題か、仕事をする人の気分の問題か。どっちだろう。
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