漫画神の贈り物――「ゲームボーイライト 手塚治虫ワールドショップ限定モデル」:矢野渉の「金属魂」Vol.34
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は「漫画の神様」との対面を振り返る。
物心ついたころから「先生」だった
教師、医師などは別にして、心から「先生」と呼べる人物は少ない。政治家や作家に対する「先生」は、多少「センセイ」的な皮肉が入っていたりするものだ。
僕にとっての真の「先生」は手塚治虫先生だ。母が手塚漫画の大ファンだったこともあり、これは刷り込みとも言えるのだが、今は僕の娘もちゃんと「手塚治虫先生」とフルネームで呼ぶ。この、親子三代に渡る影響力は大変なものだ。でも、母の手塚漫画を通しての子どもへの教育は間違っていなかったと思う。
『鉄腕アトム』から入って『ジャングル大帝』、『ブラックジャック』……。どれも根底に壮大なテーマが流れていた。そのときはそれが理解できなくても、心の中には手塚先生のメッセージが確実に残ったのだ。そして能やシェークスピアなどの古典をベースとした話の骨太さや、医学などの専門知識で確実に読者を引き込む話の緻密さ。一体どれだけのことを僕は手塚先生の漫画から学んだのだろう。
『火の鳥』と『ブッダ』だけは、リアルタイムでは子どもだったので難解すぎたが、何度も読み返して何となく僕なりに結論は出た。これらの作品がなかったら「人はなぜ生きるのか」などという哲学的な問題など考えることもしなかったろうし、宗教など気にもしないで生きていたはずだ。
そんなに難しいことを考えなくても、手塚ワールドは子ども心をワクワクさせるには十分だった。未来のロボットや反重力で浮遊する車などに対する興味と、それを開発する技術者たちの格好よさ。あのとき、お茶の水博士や天馬博士のラボでランプを光らせながら動いていた巨大な装置は、今思えば「コンピュータ」だったのだ。僕がPCまわりのモノに引かれるのは、ここに原点があるからだろう。
神がくれた贈り物
僕が写真の仕事を始めたころ、撮る写真と言えばインタビューものばかりだった。芸能人もいたし、普通の人もいたが、とにかく毎日インタビュー中の表情を追いまくっていた記憶がある。
「これはひょっとしたら手塚先生に会えるチャンスがあるかも」と思い、僕は記事の企画書の中に手塚先生の名前を紛れ込ませてもらった。
するとその日はあっけなくやってきた。
夏の暑い日、僕は新調したばかりのラルフローレンの白いTシャツを着て、高田馬場にある手塚プロダクションのビルへと向かった。アトムの人形が置かれた手塚先生のデスク前のソファで待つことしばし、その人は「どうもどうも」と言いながら笑顔で現れたのである。
話の内容はまったく思い出せない。僕は汗をかきながらシャッターを押し続けた。そのとき僕は神を目の前にしていたのだ。神はずっと上機嫌だった。
インタビューが終わると、僕は神にお願いした。母に送りたいのでTシャツの背中にサインが欲しいと。笑顔のまま神は油性ペンを走らせてくれた。30秒ほどたっただろうか。鏡で背中を見ると、そこには「火の鳥」の全身像が……。
手塚先生が下書きも何もなく、いきなりペン入れをするといううわさは本当だった。神はまた天才でもあったのだ。このTシャツは実家に家宝として飾られている。
感謝と巡礼は続くのだ
写真の「ゲームボーイライト」は1998年の夏に秋葉原で行われた「手塚治虫ワールドショップ」というイベントで限定発売されたものだ。トランスルーセントの筐体で、中の基板が見えるところが理科系だった手塚先生の雰囲気をよく伝えている。
買ってから一度も電源を入れていないが、それでいいのだ。これは感謝のお布施なのである。手塚先生が僕に与えてくれたものに比べたら、些末(さまつ)なことだ。
それでもこうしてときどき取り出して、PCやタブレットで漫画を描くようになった今の時代に、手塚先生が生きていたらどう対応していたろうか、などと妄想してみる。
きっと僕は死ぬまで、神と会えたあの日のことを反芻(はんすう)しながら巡礼を続けるのだろう。
関連記事
- 矢野渉の「金属魂」Vol.33:キヤノンが挑戦者だったあの頃――僕はC.P.Eのアルミトランクとともに
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はキヤノンがチャレンジャーだったあの頃をふと思い出す。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.32:肉にコショウ、とんかつにソース、金属には革を――「HTC J One」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は1台のスマートフォンを通じて、金属と革とのせめぎ合いを描く。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.31:“Made in Japan”の誇りを取り戻せ――「Mebius MURAMASA PC-MV1-C1W」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はかつてシャープが注力したモバイルノートPCの名機を振り返る。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.30:金属に頼りすぎた結末――「WiNDy」の光と影
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。記念すべき第30回は、かつて自作PC市場を大いに盛り上げた、あのブランドをしのぶ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.29:デジタルフォトに“1枚の重み”を――愛すべき「ケーブルレリーズ」たち
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。氏がカメラとともに愛用する4本のケーブルレリーズとは? - 矢野渉の「金属魂」Vol.28:オトコはぶらさげてナンボである――コシナ「VC METER」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。氏が今日もぶら下げて行動を共にする金属とは……。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.27:僕がマルチツールを持ち歩く理由――「GERBER Multi-Plier 600 Needlenose」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はプライヤー型マルチツールの深遠なる世界へ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.26:ユニボディとは違う“精密の美”を掘り起こす――アルミダイキャスト
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は、“実用が生み出す美しさ”を秘めた金属に迫る。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.25:フジヤカメラから新井薬師へ――お守りという金属
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はあのころの中野、新井薬師へタイムスリップする。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.24:トライポッドの恋人――Tiltall「TE01B」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。氏がさまざまな出会いと別れを繰り返し、たどり着いた究極の三脚とは? - 矢野渉の「金属魂」Vol.23:ロボットと暮らす夢がかなった幸せ――ソニー「AIBO ERS-111」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は、あの“自律型エンターテインメントロボット”を再起動する。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.22:存在の耐えられる“重さ”――TEACの光学ドライブ
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は、CD-Rドライブが最も熱かった時代までさかのぼる。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.21:そのファン、爆風につき――DELTA「FFB0812EHE」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は疾走する時代が生んだ、自走するファンの物語。回転はロマンである。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.20:謎のじゅもん“チッカチタン”をとなえた!――「CONTAX T3 チタンブラック」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は高級コンパクトカメラの名機と、謎のじゅもんに迫る。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.19:プロダクトに宿る“魂の声”を聴け――「WinBook Trim 133」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は知る人ぞ知る、ノートPCの名機を久しぶりに起動してみる。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.18:奇妙な金属たちと歴史の旅へ――「PC98-NX」と「Winkey」のキーホルダー
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は時代を彩ったPCの関連グッズから、2つの金属を取り出した。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.17:壁の崩壊をもたらすもの――「サイバーツールズ」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はアウトドアとか山ガールとか、一体何の話なんです!? - 矢野渉の「金属魂」的、デジカメ試用記:「金属魂」的、FinePix X100のある生活(金属と皮の濃密な関係)
絶対買うと意気込んでいたわけではないが、手にするしかないと思った。カメラマン 矢野渉氏と、「革」を注ぎ足したFinePix X100の生活は始まったばかり。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.16:改行の所作がまだ美しかったころ――Olivetti「Lettera 32」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第16回はPCやワープロの前に活躍した名機を振り返る。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.15:僕の思想すら変えてしまったマウス――「カトキハジメマウス」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第15回は……全マウスユーザーを揺るがす問題作!? - 矢野渉の「金属魂」Vol.14:これぞ、日本の奥ゆかしさ――「KLASSE」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第14回は、同氏が“最も日本的な高級コンパクト”という一品だ。 - 矢野渉の「金属魂」的、デジカメ試用記:5と7を使い分けてこそ――ペンタックス「K-5」
カメラマン・矢野渉氏が被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。PENTAX「K-5」の第2回は作例中心に、K-7との最大の相違点、撮像素子について考える。 - 矢野渉の「金属魂」的、デジカメ試用記:過去と未来への仕掛けを備えたカメラ――ペンタックス「K-5」
カメラマン・矢野渉氏が被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。PENTAX「K-5」は一見、K-7からの変化が少ないように見えるが、そこには過去と未来、双方に向けての「仕掛け」が施されている。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.13:それは未知なる“黄金の回転”――「Majesty」&「Super Orb」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第13回は、過剰に進化していった回転体のお話。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.12:ようこそ、大人の世界へ――「Ai Nikkor 45mm F2.8P」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第12回は、レンズの名品を回顧する。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.11:ブルーメタリックとメランコリックな記憶の中で――「Let'snote CF-A1R」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第11回は、パナソニックの「Let'snote CF-A1R」だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.10:1980年のオリーブドラブ――「Canon F-1 OD」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。記念すべき第10回は、キヤノンの「Canon F-1 OD」だ。 - 矢野渉の「金属魂」的、HDD使用記:あえて“傷をつける”ことで高めた存在感――「LaCie rikiki」
カメラマン・矢野渉氏が被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回の番外編は、USBポータブルHDD「LaCie rikiki」のヘアラインに思いをはせる。 - 矢野渉の「金属魂」的、ノートPC試用記:書道の一筆に通じる迷いなく引かれた線――ソニー「VAIO Z」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回の番外編は、高級モバイルノートPC「VAIO Z」にフォーカスする。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.9:花園から暗黒面へと落ちる――HP Mini 110“淡紅藤”
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第9回は日本HPのNetbookだ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.8:Pentium & Pentium Proに見るCPUの品格
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第8回はインテル製CPUの思い出だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.7:ガシャポンに宿る友情――ポケモンがつなぐもの
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第7回はポケモンフィギュアの思い出だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.6:“赤い金”にあこがれて――純銅製CPUクーラーと戯れる
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第6回は純銅製CPUクーラーのよもやま話だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.5:光の行方に思いを寄せて――ミノルタ「TC-1」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第5回は旧ミノルタの「TC-1」だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.4:ビクトリノックスが守り続けるもの――「スイスツール」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第4回はビクトリノックス「スイスツール」だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.3:タテ位置に込められた思い――オリンパス「Pen-EE」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第3回はオリンパス「Pen-EE」だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.2:時代を逆走した野人――Quantum「Bigfoot CY」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第2回はQuantamの5.25インチHDD「Bigfoot CY」だ。 - 矢野渉の「金属魂」Vol.1:初まりは“Z”から――ソニー「VAIO NOTE Z」
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす新連載「金属魂」がスタート。第1回はソニーの「VAIO PCG-Z1/P」だ。
関連リンク
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.