ジャンボ機ボーイング747は、いかにして誕生したか?:秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話(2/4 ページ)
2014年3月31の那覇から羽田へのラストフライトで、ついに日本の空から姿を消すジャンボ機──ボーイング747-400。日本人に最も愛されたこの名機は、いかにして誕生したのか? その歴史を、改めて振り返ってみよう。
大量輸送をリードし航空界に革命をもたらす
そうして完成した747をパンナムが世界で最初に大西洋路線に就航させたのは、1970年1月だ。
最大526席を設置できる最初の量産型747-100は、大量輸送時代の到来とともに売り上げを伸ばし、航空業界に革命的な変化をもたらした。-100はアッパーデッキ(2階席)に窓が3つしかなくスペースも座席を設けるほど広くはなかったが、メインデッキ(1階席)はそれまでの主力機だった707などに比べると幅が約6メートル広がり、天井も高くなった。キャビンを2本の通路が伸び、足を踏み入れるとまるで小さなコンサートホールに来たような感覚だった。たっぷり空間のある頭上の手荷物ラックは従来の旅客機に比べてスペースがぐっと大きく、階段を上がればアッパーデッキの余剰スペースにラウンジが設けられていた。長い空の旅を快適に過ごせるような工夫が随所に凝らされていたのだ。
コクピットにも新しい機構や技術が数多く採用され、運航技術面での進歩ももたらされた。例えば民間航空機では747で始めて装備されたのが、INS(慣性航法装置)である。大陸間弾道ミサイルや潜水艦の誘導に使われていた技術を民間航空機に応用されたもので、コンピュータと連動して飛行位置を算出し、入力されたフライトプランに従って目的地まで誘導してくれる画期的システムだ。コクピットでの複雑な計器類や飛行制御作業も簡素化され、正副2人のパイロットと1人のエンジニアの3人だけでこの巨人機を安全運航できるようになった。
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