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ジャンボ機ボーイング747は、いかにして誕生したか?秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話(3/4 ページ)

2014年3月31の那覇から羽田へのラストフライトで、ついに日本の空から姿を消すジャンボ機──ボーイング747-400。日本人に最も愛されたこの名機は、いかにして誕生したのか? その歴史を、改めて振り返ってみよう。

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日本人に馴染の深いテクノジャンボ747-400

 ひと口に「ジャンボ機」といっても、そのタイプはいろいろである。

 747-100/-200/-300は「クラシックジャンボ」とも呼ばれ、いずれも初期に活躍したタイプだ。世界でも最多の計100機を超える747を導入したJALは「ジャンボ機王国」などともいわれたが、その中にもさまざまなタイプのものが存在した。-100の1号機がJALに納入されたのはパンナムが初就航させたのと同じ1970年の4月。その-100のエンジンを改良し、航続性能を高めたモデルが-200Bで、長い航続距離を生かして米国への直行便などに投入された。クラシックジャンボの最終モデルとなったのが、旧型の2階席を後方に約7メートル延長した747-300だ。2階席だけで最大63名の乗客が乗れるようになり、このボディの形はのちの-400にも引き継がれていくことになる。

 日本の航空ファンに最も馴染の深いのが、いわゆる「テクノジャンボ」といれる747-400だろう。主翼先端に装備された空気抵抗を軽減させるためのウイングレットがシンボルマークだ。操縦席はブラウン管による多機能表示ディスプレイを多用したグラスコクピットになり、正副2名のパイロットだけでの運航が可能になった。エンジンもより高性能化して航続距離がさらに伸び、エアライン各社は長距離国際線の主力機材として747-400を活用した。

飛行機と空と旅
かつて「ジャンボ機王国」などとも呼ばれたJALの747-400

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