ジャンボ機ボーイング747は、いかにして誕生したか?:秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話(4/4 ページ)
2014年3月31の那覇から羽田へのラストフライトで、ついに日本の空から姿を消すジャンボ機──ボーイング747-400。日本人に最も愛されたこの名機は、いかにして誕生したのか? その歴史を、改めて振り返ってみよう。
ジャンボ機の歴史に新たな1ぺージが
もうひとつ、日本の国内線では、短い距離を1日に何回も往復するために胴体や床面の構造を強化した-400Dというタイプも使用された。-400DのDは「ドメスティック(国内)」の略で、この国内線仕様のジャンボは日本でしか飛んでいない。
またそれ以前には、SRと呼ばれるタイプが国内の空をリードしていた時代もある。SRは「ショートレンジ(短距離)」の略で、離着陸する回数の多い日本の国内線の事情に合わせて開発された。初代の-100の着陸耐用限度が約2万4600回だったのに対し、747SRでは約5万2000回と脚部が大幅に強化されている(2ページめの写真参照)。
これらジャンボファミリーを称賛する声は、いまも止まない。以下のように、その魅力はさまざまな立場で語り継がれている。
「ジャンボ機は気流の悪いところを飛んでも、安定していて操縦しやすい。どっしりとしていて、少々の風にもあおられない」
「ギャレーが広くて働きやすいですね」
「客室は他の機種と比べて圧迫感がない。快適です」
「優雅に飛び立った姿を、背中から見ているのが好き」
2011年3月、JALのジャンボ機が姿を消した。多くのファンに惜しまれながら。ANAが運航している残り2機も、間もなく退役する。ラストフライトは2014年3月31日。那覇発12時35分、羽田着15時のNH126便だ。しかし、747の歴史がこれですべて終わるわけではない。海外では継続して747-400を長距離国際線の主力機材として活用しているエアラインも多く、デルタ航空などは最新のビジネスクラスシートを成田−ニューヨーク線で運航している747-400に導入した。さらに伝説の名機は、この連載のリポートでも報告したように「747-8インターコンチネンタル」という名で進化し、よみがえっている。ジャンボ機747は、いまも世界の空に君臨し続けているのだ。
著者プロフィール:秋本俊二
作家/航空ジャーナリスト。東京都出身。学生時代に航空工学を専攻後、数回の海外生活を経て取材・文筆活動をスタート。世界の空を旅しながら各メディアにリポートやエッセイを発表するほか、テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活動。
著書に『ボーイング787まるごと解説』『ボーイング777機長まるごと体験』『みんなが知りたい旅客機の疑問50』『もっと知りたい旅客機の疑問50』『みんなが知りたい空港の疑問50』『エアバスA380まるごと解説』(以上ソフトバンククリエイティブ/サイエンスアイ新書)、『新いますぐ飛行機に乗りたくなる本』(NNA)など。
Blog『雲の上の書斎から』は多くの旅行ファン、航空ファンのほかエアライン関係者やマスコミ関係者にも支持を集めている。
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