2007年7月から始まったこの連載も、いよいよ今回の119回目をもって終了することとなった。自分にとっては比較的新しい連載のつもりだったが、気が付けば3年を超えていた。
40ミリという画角は、実際に撮影してみると意外に広く感じる。古いレンズのわりには逆光にも強く、白浮きすることもなく撮影できる。
光学部分の修理が終わったRollei 35だったが、どうにも気になる個所が残っている。それは、鏡筒部がスカスカで、カメラを下に向けると、スポンと鏡筒部が落っこちてくるのだ。
Rollei 35は人気の高いカメラということもあって修理情報が豊富だ。レンズをボディから抜いてしまえば修理も簡単だ。背面のネジを3本外すだけで、レンズ部がスポッと抜ける。
Rollei 35は人気があるカメラなので、みんな調子が悪くなると修理に出して完動品になってしまう。ジャンクのままで売られているのはあまり見たことがなかった。
ハーフカメラとしては絶大な人気を誇るCanon Dial35。それゆえにジャンクもあまり見かけないのだが、今回運良くゲットしたブツは大変なシロモノだった。
シャッターの張り付き、絞りの張り付き、レンズ再組み立てと、次々に不具合が発見されるCanon Dial35。電池を入れてみると、どうやら露出計の動きも怪しい。
シャッターを直したら、絞りがおかしい。絞りを直したら、レンズがおかしい。1500円で購入したDial35は、安かった分だけ苦労の種が仕込まれているようだ。
これまでに2台扱ったことがあるキヤノンのハーフカメラ「Canon Dial35」。これまでは友人からの借り物であったが、ついに自分のものを入手した。
現像からの上がりを見て感じたのは、手前ボケもきれいということだ。奧のボケがきれいなレンズは多いが、大衆路線のカメラながら手前もきれいにぼけるレンズは、なかなかのめっけもんである。
分解してみると嫌な予感がする。白い砂粒のようなものが入っているのだ。シャッタースピードがおかしなことになっているのは、おそらくひげゼンマイのパワーが落ちているのだろう。
ジャンク品として入手したVITO CLRは、シャッタースピードの設定がうまくできない。シャッター機構は腕時計並みの複雑さなので、今回のレストアは成功するだろうか。
クリーニングを終えたPetri 35 F2。デザインが現代的なので、ついつい古いカメラだということを忘れてしまうが、実際には53年前、すなわち半世紀以上前のカメラである。
ファインダーと後玉が曇っているPetri 35 F2を、早速、軍艦部から分解する。どうやらレンズの曇りはカビのようである。レンズはただのガラスなのに、どうしてカビが繁殖するのだろうか。
ペトリは、かつて日本に存在したカメラメーカーである。ファンもそこそこ多いのだが、「ああペトリねー」的な、あんまり深入りするとめんどくさいことになるよオーラを醸し出している。
Nikkor 24ミリ/F2.8を装着して、Nikomat FTNのマクロ撮影に挑んだ。開放だと被写界深度はものすごく浅くなるが、後ろのボケはすばらしいものがある。
NikonのFマウント用のレンズには、カニの爪が付いているものがある。「ガチャガチャシステム」のボディであれば、マウントアダプター不要で使えるのだ。
1967年から8年間に渡り、製造されたNikonの中級機「Nikomat FTn」。このカメラを購入しなかったら、いまのようにいろんな古いカメラを収集し始めることもなかっただろう。
革を張り替え、新品同様となった「Minolta-35」に、FEDの52ミリ/F2.8レンズを装着して、さっそく撮影してみよう。手に馴染むサイズのMinolta-35は、いい相棒になりそうである。
Minolta-35は、Lマウントのレンズが使えるライカコピーである。正面にMODEL IIの刻印があることから、おそらくII型だと思われる。1953年から1957年ぐらいまでに作られた、古いカメラである。
内部を掃除して組み立て直したレンジファインダー「YASHICA EE」で草花を撮影した。露出は若干明るめに撮れる傾向があるが、描画はシャープで上品だ。
露出計表示を観察してみる。これは正面の細長い採光部から光を取り込み、それを薄い鏡で反射させて露出計の影を映す、という仕組みであった。
YASHICA EEというシンプルなカメラは、同社初のEE(自動露出)カメラだ。当然Electro35よりも前のもので1962年の発売である。
ちゃんと写るのかどうか不安が残るSELBY 35TL。レンズを切り換えながら撮影したが、ファインダー内の四角い枠で意識したほどには、大して画角は変わらなかった。
謎に包まれたツインレンズカメラ「SELBY 35TL」。中身はどうせスカスカなんだろうと思っていたら、電子部品はそれなりにあった。
FUJI「TW-3」を購入した店のカウンターに置いてあったツインレンズカメラ、「SELBY 35TL」。勢いで買ってみたものの、ネットで調べてもほとんど情報が見つからなかったので、自分でいろいろと試してみることにした。
電池交換と簡単なクリーニングだけで復活したFUJI「TW-3」。実際に撮ってみると、それなりの写りではあったのだが、逆光には弱かった。
銀座松屋で開かれた「世界の中古カメラ市」で手に入れた、FUJIのレンズ切り替え式ハーフカメラ「TW-3」。バッテリー切れだったが、内蔵電池を交換すると動くようになった。
銀座松屋で開かれた「世界の中古カメラ市」で見つけた、FUJIのレンズ切り替え式ハーフカメラ「TW-3」。バッテリー切れでジャンク扱いだったため、格安で手に入れられた。
ジャンクコーナーで見つけた「beirette vsn 2」。作りはオモチャレベルだったが、撮影してみるとそのシャープな写りに驚いた。
ジャンクコーナーで見つけた「beirette vsn 2」。ファインダーの汚れが気になったので、掃除するため分解してみることにした。
カメラ屋のジャンクコーナーで発見した「beirette vsn 2」。共産圏の安いカメラの典型的な特徴が出ていて、とことんまで機能が削られていた。
旧ソ連製のカメラZORKI-4にFED F3.5/50ミリをつけて撮影してみると、そのシャープな描写力に驚いた。
ジャンク扱いで入手した旧ドイツ製カメラの「ZORKI-4」。とにかく回すところだらけという構造だったので、仕組みを把握するために回りそうなところを回していくことにした。
ドイツカメラの正当な継承者ではあるものの、設計技術が伝わらなかったことなどから、当たり外れが大きくなっている旧ソ連製カメラ。筆者が3年以上前に手に入れたZORKI-4は当たりの部類だった。
スクエア撮影できるように改造した『大人の科学』の二眼レフカメラ。しかし、光漏れが激しいので、再改造することにした。
1時間程度で組み立てられた『大人の科学』の二眼レフカメラ。スクエアフォーマットで撮れるように改造を施し、実際に撮影してみた。
『大人の科学』vol.25に付録としてついてくる二眼レフカメラ。ブローニーでなく、35ミリフィルムが使えるということで、筆者も買って組み立ててみることにした。
登場した当時は認知度が低かったFUJICAのカメラ。しかし、筆者が30年前に買ってもらったFUJICA ST701をクリーニングして、改めて撮ってみると、その味のある描写に驚いた。
実家で30年ぶりに発見した富士フイルムのFUJICA ST701。レンズはカビだらけだったが、根気よくクリーニングすると、ある程度は汚れが取れた。
筆者が中学1年生のころに買ってもらったFUJICA ST701。国産レンズとして評価の高いFUJINONレンズの描写を確かめるため、修理することにした。
軍艦部の塗り直しという荒技できれいによみがえったPen F。いったいどういう描写をするのだろうか。実際に撮影してみた。
筆者が格安価格で手に入れた中古カメラ『OLYMPUS Pen F』。所有者のものと思われる名字が彫り込まれていたことが安値の理由だが、今回の修理では文字を消すために塗装をやり直すことにした。
OLYMPUS PEN E-P1の発売やPanasonic LUMIX GF1のリリースで、コンパクト一眼のブームが広がりつつある。そうしたコンパクト一眼の原型となっているのが1963年にリリースされたOLYMPUS Pen Fだ。
一通りの修理が終わったElectro 35 GT(S)。テスト撮影してみると、一眼レフ並みの描画と深度表現に驚いた。
Electro 35 GT(S)を修理するのは今回で2回目。1回目は失敗したのだが、今回はその時のパーツを拝借して修理することにした。
自動露出機構を備えた電子シャッター式のレンジファインダー型カメラ、YASHICA Electro 35。修理の難易度の高さで有名だが、挑戦してみることにした。
露出計も直って、フル機能を発揮できるようになったPen D3。実際に写真を撮ってみると、写りのすばらしさに驚いた。
OLYMPUS Penシリーズは1960年代を代表する大衆機。そのシリーズの中でも大衆機から離れてコンパクト高級路線を歩んだDシリーズ、OLYMPUS Pen D3の修理を頼まれた。
修理が終わったCanon Dial35。実際に写真を撮ってみると、長く愛されてきた理由が分かった。
昔の水銀電池で動くカメラは、電池をどうするかが大きな課題だ。Canon Dial35向けの水銀電池はもう製造中止となっているので、自分で代用電池を作ってみた。
キヤノンの「Dial35」は優れたデザインで知られるハーフカメラだが、修理の難しさもまた広く知られている。ファインダーをクリーニングしようと思い中を開けてみると、予想以上に重傷だった。
ハーフカメラと聞いて、最初に思い浮かぶのがキヤノンの「Dial35」という人も多いのではないか。優れたデザインのこのハーフカメラは、米国の映画機材メーカーBell&HowellにもOEMされていた。
分解修理を終え、革を張り替えたヤシカのハーフを持って、さっそく撮影に出かけることに。現像から上がってきた写真を見て驚いた。予想外にシャープな描写をするのだ。
老舗メーカー「ヤシカ」製ハーフカメラのジャンク品に出会った筆者。7000円とジャンク品にしては高価だったこのカメラは、果たしてどんな状態なのか? まずは分解して調べてみよう。
フィルムを2分割し、通常の35mmフィルムで2倍の撮影ができるハーフカメラは、1950年代末から約10年間ブームとなった。ある日、老舗メーカー「ヤシカ」製ハーフカメラのジャンク品に出会った。筆者にとっては初のヤシカである。
今からフィルムカメラを買うなら、中途半端に最近のものより、80年代以前に作られたものを買うことをオススメする。だが中古品は、きちんと動くことをしっかり確認してから買いたいもの。今回は3つのポイントを解説する。
本連載ではジャンク品の中古カメラを買ってきて分解修理を行っているが、「そもそも中古カメラって、どこで売られているの?」と疑問に思う方もいるのでは。今回は初心者にも入りやすい、おすすめの中古カメラ店を紹介する。
ジャンク品として売られていた壊れたカメラを、分解修理してよみがえらせるようすをつづる本連載。「それは得なのですか?」と問われることも多い趣味だ。59回目となる今回だが、初めてこのコラムを読む方も多いだろう。改めて、この趣味の面白さがどこにあり、筆者がなぜこんなに夢中になるのか考えてみた。
復活したNikon F。手持ちのFマウントのレンズ、Nikkor-S Auto 50mm/F1.4とExtention Tubeを持って、撮影に出かけた。低い位置に存在する花を撮るには、ウエストレベルファインダがちょうどいい。
義兄から譲り受けたNikon F。さっそく分解して気になるプリズムの具合をチェック。モルト腐食がひどかったが、カスタマイズ性の高いNikon Fのおかげで……。
多くの人の記憶に残る名機「Nikon F」。一眼レフ入門がフィルム時代の人なら、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。義兄から譲り受けたNikon Fは、ほこりまみれでお世辞にも良い状態とはいえなかった。
Auto Half Sを本来の“スナップカメラ”として再生するするべく、露出計の改造に着手。手間のかかる調整を経てセレン素子を太陽電池に交換することに成功。生まれ変わったAuto Half Sは、思いついた瞬間にスパッと撮れる機動力を手に入れた。
かなり状態が悪かったジャンク購入のRICOH Auto Half S。セレンが劣化していて使い物にならないため、マニュアルカメラとしての道を歩むことがほぼ決定的になったのだが……。
ハーフカメラを語る上で、OLYMPUS Penシリーズとともに双璧を成すと言っても過言ではないのが、RICOHの「Auto Half」シリーズだ。今回は「RICOH Auto Half S」を取り上げる。
カメラの故障原因は電気的なものと機械的なものに大別されるが、機械的な故障は簡単な掃除で直ってしまうものも少なくない。しかも専用の道具ではなく、身の回りの意外なもので修理していくのも楽しいのだ。
最近は分解・修理工具を取り扱うところが増えてきているが、専用の工具は非常に高い。もっとも専用工具でなくても、実はその辺に売っているもので代用できるものも多い。今回は一息入れて、修理道具の話をしよう。
PENTAX SPFから使える部品を移植し、露出計の不具合も分解クリーニングで解決した「PENTAX SP」。見た目はSPFだが機能的にはSPという、人に説明が難しいカメラが完成。早速撮影してみると……。
「PENTAX SPF」のボディパーツを使って「PENTAX SP」の“再生”を開始。2台とも動かない露出計の修理が当面の課題だったが、分解して磨いてみると……。
現在の一眼レフの基礎を築いた1964年登場の「PENTAX SP」と、それから約10年後に発売された開放測光搭載モデル「PENTAX SPF」。この2つのPENTAXボディを“ニコイチ”にする修理を行ってみた。
「Konica II B」は、丁寧なHexarの描写が魅力。オリンパスのOMレンズに近いその描写は非常に端正で、若干青みが強い。さすがに後々まで名レンズと言われるはずで、よく写る。
Konica IIシリーズは、正面の金属パネルが美しいS字にカットされた部分がとてもエレガント。このカーブは、機構的に必要だったわけではなく、純粋にデザインとして取り入れられたものだ。日本人の個人能力の高さ、美的感覚の鋭さを感じる。
昭和世代には懐かしい小西六、コニカ、サクラカラー。数多くのバリエーションを産んだKonicaシリーズから「Konica II B」の完動品を入手。シャッター周りの見事な造形、軍艦部のエレガントな曲面の仕上がりは、とても50年以上前のものとは思えない。
距離も目測、露出計ナシというUnivex Mercury IIだったが、想像以上にレンズの描画力が高く、びっくりするほど良く写る。フィルム1本撮影してみたが、発色・コントラストともに、非常に現代風のかっちりした絵が撮れた。
入手した“憧れのハーフカメラ”「Univex Mercury II」は、TRICOR 35mm/F2.7のレンズが装着された完動品。時代を先取りしたような形のシャッターボタン、横に設置されたレリーズ穴など、そのスマートなスタイルは戦前の設計としては破格にモダンなカメラだ。
撮影枚数の多さ、小型化向き、合焦しやすさなどから戦後の日本でもヒットした「ハーフカメラ」。今回紹介するのは、そのハーフカメラ第一期生で実動する筐体が多い「Univex Mercury」だ。
Argus C3で撮影してみてなんとなく分かったのは、現在のArgus C3の立ち位置。一世を風靡したカメラだが、その撮れた絵を見ると無理に手に入れるほどでもない、というところなのだ。
同じ物が27年間、ほぼ改良もされずに作られ続けたArgus C3は、まさにカメラ界のシーラカンス。安くて丈夫で役に立つ。必要最小限あればいいというアメリカ人の合理性は、こういう製品から培われたのだろう。
アメリカを代表するカメラ「Argus C3」。それほど興味はなかったのだがある日、交換レンズ付きの美品をつい衝動買い。調べてみると、Argus C3の派生モデルである「Matchmatic」だった。
生まれ変わったEdixa Reflexで早速撮影に。Edixaで撮る写真は、ウエストレベルファインダによる新鮮な構図にレンズの個性がプラスされ、独特の世界観がより強調される。
カメラの革の張り替えは、案外簡単にできる。外装のNGでジャンク扱いだったEdixa Reflexの、外装の革を張り替えてみた。
日本ではほとんど評価されていないドイツ製カメラ「Edixa Reflex」を手に入れた。外装の汚さでジャンク扱いだったが、動作は問題ない様子。年代を感じさせない作りで、じっくり眺めてみると非常に味わい深いカメラだ。
2つのジャンクレンズを組み合わせて修理したOLYMPUS G.ZUIKO AUTOーW F3.5/28mm。実際に撮影してみると、クールな発色だが湾曲の少ない、いいレンズだった。
OLYMPUSのジャンクレンズを買った。不具合の箇所が違う2つの同種レンズを組み合わせるという“レンズでのニコイチ”。果たして移植は上手くいくのだろうか。
オートでしか撮れないカメラの修理は難しい。自動機能が上手く働かなくなったときにまったく役に立たなくなるからだ。「RICOH AUTO35V」も、なんとか撮影できるようになったのだが……。
購入したRICOH 35Vの露出感度異常を直すためにさっそく分解。レンズ側からバラしてみたのだが、慎重に観察してから修理に挑まなかったために……。
“カメラの自動化”というリコーのトライアルから生まれた「RICOH AUTO35」。たまにはちゃんと動くものをと、オーバーホール済み美品を購入。だが、撮影してみると何かがおかしい……。
RICOHFLEX Holidayで撮影をしてみた。廉価モデル、しかもろくにメンテナンスもしていなかったのに、ものすごくよく撮れていてびっくり。日本製カメラの“本物の力”が、半世紀を経てよみがえった。
撮影に出かける前に、二眼レフの決まりについて少しご紹介。一番ややこしいのがフィルム。現像にもオキテがあるし、スプールが循環していくという二眼フィルムのルールもある。
ブローニーフィルムを使う二眼レフカメラ「RICOHFLEX Holiday」が手元にある。買ったわけではない。叔母の形見が、巡り巡ってやってきたのである。廉価版とは思えぬ作りに驚かされる二眼カメラの普及機を紹介。
苦労して修理したExakta Varex IIbで、街撮りやマクロなどいろんな撮影にトライしている。見た目はゴツいが、頑丈で安心して使える。ウエストレベルでの撮影が、35mmフィルムで気軽に撮れるのがいい。
手に入れたExakta Varex IIbのシャッターは布製横走り方式。先幕の緩みを調整したが露光ムラがヒドい。さらに修理を続けると、シャッター幕のスピード調整で試行錯誤することに……。
露出計の修理を終えたCONTESSA 35でさっそく撮影。段取りが多かったり、フレーミングが難しかったりするものの、その写りはとても50余年を経過するものとは思えない、端正でパリッとした描写だ。
フォーカスの不具合を調整した「CONTESSA 35」だが、露出計がちゃんとした値を示さない。いろいろ調べたところ、劣化したセレン素子を太陽電池に交換するというレストア方法を見つけた。
1950年に発売されたZEISS IKON CONTESSA 35。半世紀以上昔に作られたカメラだが、二重像の距離計を装備し、非連動ながら露出計も付いている。このカメラの距離計調整を行なったのが、筆者がカメラのレストアを始めたきっかけだった。
接点洗浄&クリーニングで撮影可能になったOM-2 SP。手持ちの50mm/F1.8だけではもの足らず、ワイド系レンズ探しに。かなり“ジャンク”な純正28mm/F3.5とともに見つけたVivitar35mm/F2.8が、無難ながらも風景撮りには使いやすいレンズだった。
シャッター不良でミラーアップしたままの「OM-2 SP」。さっそく分解を……とネットを調べても情報がなく、分解のとっかかりとなるネジも見当たらない。注意深く観察すると、どうやら接着剤止めであることが分かった。
いろいろ手をかけたOM-10も出番が少なくなってきた。「何かほかの面白そうなカメラを」と探すと、そういうときに限ってOMシリーズの程度のいいヤツが見つかる。というわけで、OM-2のリファインモデル「OM-2 SP」である。
地味ながら人気があるマクロ撮影。それを手軽に実現できるのが、接写リングだ。このアクセサリー1つで、1本の標準レンズでも撮影のバリエーションが大きく広がる。
本体を修理し、レンズも入手したところで早速OM-10での撮影。小型が魅力のOM-10だが、シャッター半押しのAEロックなどなく、全面測光のため露出補正が面倒。さらに自動電源OFF機能が“じっくり撮影”には致命的で……。
OM-10の修理は光学系の掃除から。ファインダ、プリズムとキレイにして、スクリーンはEOS用のを加工して装着。これで本体はなんとかなったが、レンズも“ワケアリ”を購入したために……。
いつかは手に入れたいと思っていたカメラ OLYMPUS OMシリーズ。人気のない入門機「OM-10」のジャンクを3000円で見つけたので、買ってみた。ファインダ内の汚れがひどかったが、外装は美品。丁寧に扱われていたカメラのようだ。
豊富なレンズ群が魅力のM42マウントを採用した「ZENIT-E」。ツァイスなど一流ブランドレンズも選べるM42マウントだが、日本ならアサヒペンタックスのレンズ群が豊富。ボケ足が綺麗な明るいレンズでさっそく撮影してみた。
前回はロシアカメラの話で終始したが、今回はいよいよZENIT-Eの修理に入っていく。順調に分解が進むかに見えたが、固くて外れないネジが行く手を阻み……。
旧ソ連製カメラ「ZENIT-E」を3150円で手に入れた。安値には必ず秘密があるもの。このカメラの場合、露出を算出するダイヤルが普通の値を示さなかった。
メンテナンスも必要ないぐらい状態が良かったMAMIYA ZMを持って、早速撮影に出かけた。描写がカリッとしているのがMAMIYAのレンズの特徴。さて、撮影の結果は……。
中古カメラとの出会いは、ほとんどが運命。MAMIYAの35mmカメラ「MAMIYA ZM」に出会ったのは、たまたま車で通りかかったハードオフのジャンク品コーナー。探している人から見れば、畳の上でミモダエして悔しがるだろう逸品だった。
簡単な修理で直ってしまった「OLYMPUS XA」。早速撮影に出かけてみた。露出がアンダー気味な点や、最短焦点距離が長めなど若干の不満はあるが、スナップカメラと割り切れば、その気軽さが旅をより楽しくしてくれそうだ。
ジャンクで購入した「OLYMPUS XA」の初期症状は、シャッター不良。フェザータッチのシャッター部を分解してみると、動作原理はあくまでもキカイ式であった。
OLYMPUS PEN、PEN F、OM-1など数々の名機を世の中に送り出してきた天才設計者が、現役で手がけた最後のカメラ「OLYMPUS XA」。プロもサブカメラとして愛用したというこの名機は、ポケットから取り出してどこでも本気で絵作りができる。
シンプル・質実剛健・軽快ボディの「EXA IIa」でさっそく撮影してみた。レンズは、円形絞りなどていねいな作りが魅力のZeiss Jena(ツァイス イエナ)50mm/F2.8。さて、このレンズの撮り味は?
軽快ボディが魅力の「EXA IIa」を、さっそく分解してみることに。懸案のシャッター部には、経年変化によって固着した機械油を洗い流す“魔法のオイル”を施してみた。
部品取りのために買った「EXA IIa」を修理することに。世界初一眼レフカメラ「EXAKTA」の廉価版という位置づけのEXA IIaだが、中古カメラ市場では人気がない。だが、EXAKTAよりも軽快に使えるボディは魅力だ。
掃除しただけで直ってしまったVoigtlaender VITO BL。ちゃんとアングルを決めて距離を測って花や人物を撮ると、しっとりとなかなか美しい描写をするカメラだ。
クラシックカメラの世界から始まった「-コデラ的-Slow-Life- 」。前回に引き続き、VoigtlaenderのVITO BLをいじっていく。直るかどうかはわからないが、とりあえず中を開けてみることに……。
+D Styleのコラムに、小寺信良氏が満を持して登場。10日に一度の“スロー”な連載、急がないテーマで“ゆっくりゆっくり”進めながら、「小寺的SlowLife」を楽しんでもらいたい。まずは「クラシックカメラ」の世界から……。
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