心配するな、最初は誰だってビジネス文書が書けないのだ樋口健夫の「笑うアイデア、動かす発想」

入社早々、「近頃の新人はビジネス文書のひとつも書けない」とぼやかれた新人もいるかもしれないが、心配する必要はない。誰だって最初は書けないのである。どうしたら、ビジネス文章を書けるようになるのだろうか。

» 2007年04月05日 16時26分 公開
[樋口健夫,ITmedia]

 まず断っておこう。「近頃の新人はビジネス文書のひとつも書けない」という人はおかしい。そんなことをいっている年配の人も、入社の時には書けなかったはずだ。今書けるとしても、それだけ入社後に練習したに過ぎない。

作文能力は「書き直す」ことで向上する

 ほとんどの新人たちがビジネス文書を書けないのは無理からぬことだ。原因は、大学にいる間に書かなかった、書くトレーニングをしてこなかったということに尽きる。筆者も含め、誰も彼もみーんな書けなかったのだ。

 筆者が学生のころから、日本の作文教育は最悪だった。学生たちが書いた作文やリポートは、先生が赤字や赤線を入れて、点数やコメントを付けて生徒たちに返しても、それっきり。作文の点数がよかったらお母ちゃんに見せたし、悪ければ公園のゴミ箱に放り込んでいただけだ。これでは、本人の作文能力は全く向上せず、作文すなわち書くことは暗いイメージで、イヤな科目になる。書いた作文は捨てられ、字を書いただけのことになってしまう。

 本当の作文は、添削して本人に返した後に始まる。先生が添削した内容を反映しようとしまいと、とにかく2回目を書き直すこと。これをさらに第三者に見てもらうだけでよい。だまされたつもりで実行してみてほしい。作文能力は累乗でよくなるのである。

 筆者が入社した1971年には、もちろんPCもワープロ専用機もなかったから、ひどい文章、間違った文章の書き直しは、誰かが手書きで直す以外に方法がなかった。報告書も稟議書も、徹底的に何度も何度も書き直しをさせられた。夜遅くまでかかっても当時の課長代理は、筆者が書き終わるのを待っていた。義務教育で足りなかったから、入社後に育てられたというわけだ。

ノートこそ新人教育のツール

筆者のノート。仕事からプライベートまで、すべての情報を書き込んでいる

 会社にはさまざまなテンプレートが用意されている。営業報告書から稟議書、出張申請書、交通費精算などだ。いずれも、他人がもともと作成したテンプレートを利用する。下手をすると、内容まで先輩の書いた文章を写すこともある。もし、一から新人に任せたとすると、新人の書いたボロボロ、グチャグチャの文を誰が直すのか。たいていは時間がないから、上司がきちんと書き直すことになる。効率性を求める会社という組織を考えれば、それ自体が悪いわけではないが、新人たちがビジネス文書の書き方を習得するのは極めて難しくなるだろう。

 他人の文章をコピーする以外に作文能力の習得機会がない新人たちは、そのまま1年、2年経つと、ビジネス文書が書けないなどとは、口が裂けてもいえなくなる。だから、できるだけ報告書や企画書を出さないで済ませようという意識が働き、抵抗感を感じることになる。

 ビジネスの現場で口約束は厳禁だ。報告書や企画書なしではどんなアイデアがあっても実現するのは難しい。内部統制などを考えれば、これから書き残す能力はますます重要になる。連載第1回に「まずノートを買いに行け」と指摘したのは、文章を書くための訓練でもある(3月30日の記事参照)。

 筆者が営業部長をしていた時には5月中旬に新人が着任すると、まずA5の新しいファイルノートを1冊ずつ渡して、A5の1ページに1行も空けずに、その日の業務日誌を書かせた。書き方にはこだわりがあった。

 1行空きや行の半分の空白も認めず、ノートの1ページにびっしりその日に何があったかを書かせた。これを3カ月間続けたのだ。最初の1週間は新社会人のもの珍しさもあって、新人たちも書くことに困らない。彼らの業務日誌にグループリーダー、課長、次長、そして部長であった筆者の判と短いコメントを書き添えて、新人には「はい、ご苦労さま。帰っていいよ」といっていた。

新人が書くことに困り始めたら“チャンス”

 配属後、たいてい1週間ほどで新人たちは書くことがなくなるのだ。机に座って何を書くか困っていた。「何もしませんでした」と業務日誌に窮状を書くことになる。すると、筆者は新人を指導する担当社員だけでなく、課長や次長にも新人が業務日誌を書くための面倒を見るようにと厳命したのだ。

 そのせいもあって新人たちは、直接関係なくても客先訪問に同行したり、会議に参加するようになった。時には重要な会議の議事録を書き取らせるなど、部内のさまざまな活動に参加させた。ポイントは、すべてのイベントにノートが必携だったこと。会議や客先訪問でノートを忘れていたら、ぼろくそに叱ったものである。

 配属後も研修にはノートを持参させ、ほかのノートには書かせなかった。情報を集中させるためである。会社が配布する新しい技術や営業品目の詳細などは、このノートに貼り付けるようにさせていた。新人たちが業務日誌を書いていた3カ月間、ノートは自然に自分の手足のようなノートになっていた。

 昔の部下の多くが、15年以上経過した今もなお、当時と同じ20穴A5ファイルノートを継続して使っている。ノートがいかに重要であるかの証明だ。詳細は「できる人のノート術」(PHP文庫)にも触れたので、興味のある方はぜひ参照してほしい。

業務日誌の鉄則
鉄則
その1 1行空きや空白はナシ。1ページにびっしり書く
その2 ノートを分散しない。1冊にまとめて書く
その3 どんなイベントにもノートを持ち歩く

新人だけで解決するならどうする?

 上司が赤ペンの鬼でもなく、部下が書いたビジネス文書の添削に全く無関心。こういうぬるま湯のような職場に配属されたらどうする――。

1 まず、社内で参考にできる書式を単にコピーするだけでなく、自分のファイルノートの中でどんどんカスタマイズさせることだ。必要であれば許可もとって優れた提案書を収集しよう。自分のノートに「モデル文ファイル集」を作って、そこから自分なりの提案書を試しに作っていくのである。

 筆者にも、いつも営業用の提案書を工夫して作っている優れた部下がいた。彼は何も言われなくとも、まさに「モデル文ファイル集」を作っていたのである。その提案書を毎回お客に合わせて作り直していたが、そちらも絶妙だった。

2 提案書の初期のものには不備がある可能性が高い。自分でカスタマイズして、作って上司に確認してもらい、訂正を受けて再度カスタマイズする。この好循環が能力を飛躍的に伸すのだ。できるだけ忙しくなる前にしておこう。忙しい“戦時下”では相手にしてもらえなくなるからである。



 よく考えると、この文は新人たちではなく、会社の部門長が読むべきものかもしれない。特に担当社員がマンツーマンでOJTを行っている企業では、現場で新人に業務日誌を毎日書かせる方法は効果的だろう。だが、新人たちが知っていても悪くないかなとも考えた。会社の部門長に推薦してくれるかもしれないし、読んだ新人が部門長になったときに、思い出してくれるかもしれないからだ。

今回の教訓

ノートがあれば、もうノーとはいえません――。


著者紹介 樋口健夫(ひぐち・たけお)

1946年京都生まれ。大阪外大英語卒、三井物産入社。ナイジェリア(ヨルバ族名誉酋長に就任)、サウジアラビア、ベトナム駐在を経て、ネパール王国・カトマンドゥ事務所長を務め、2004年8月に三井物産を定年退職。在職中にアイデアマラソン発想法の考案。現在ノート数338冊、発想数26万3000個。現在、アイデアマラソン研究所長、大阪工業大学、筑波大学、電気通信大学、三重大学(いずれも非常勤講師)、企業人材研修、全国小学校にネット利用のアイデアマラソンを提案中。著書に「金のアイデアを生む方法」(成美堂文庫)、「できる人のノート術」(PHP文庫)、「マラソンシステム」(日経BP社)、「稼ぐ人になるアイデアマラソン仕事術」(日科技連出版社)、アイデアマラソンは、英語、タイ語、中国語、ヒンディ語、韓国語にて出版。ものづくり例は、「アイデアマラソン・スターター・キットfor airpen」(ぺんてる、アイデアマラソン研のコラボ、JustMyShopにて発売中)。公式サイトは「http://www.idea-marathon.net/」。


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