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» 2015年12月25日 08時00分 UPDATE

小林正弥の「幸福とビジネス」:相次ぐ企業不祥事、アリストテレスならどう見る? (1/3)

ビジネスにおいて「美徳」は必要なのだろうか? 最近相次いで起きている企業の不祥事を見ていると、その答えは「Yes」と言わざるを得ないだろう。

[小林正弥,ITmedia]

美徳はビジネスに必要か?

 前回、ビジネスマンにとって幸福とは何かということをお話した。今回触れたいのは「美徳」についてだ。

 「美徳とビジネス? 一体どういうこと?」。そう面食らうビジネスパーソンも多いのではないだろうか。美徳となると、幸福よりもさらにビジネスとは無縁と思う人が多いかもしれない。美徳は道徳的な話で、経済的利益や商売には関係がない、と。

 でも、企業の不祥事を考えてみよう。今なら、海外ではフォルクスワーゲンの排気ガス不正問題、国内ではマンションなどにおける杭打ち問題、東芝の不正会計問題などがメディアをにぎわせている。いずれも一流企業がデータを偽装した事件である。

 これらはもちろんルール違反だが、嘘(うそ)や虚偽(きょぎ)とは、道徳的に言えば、まさしく悪しき行為そのもの。悪いと分かっていてもこのようなことを行うのは、自分たちの利益や体面を真実よりも優先し、嘘をつくという誘惑に負けてしまうからだ。

 つまり、担当者や企業に徳が欠けていることになる。日常生活において「正直」というシンプルな美徳が培われておらず、嘘つきという悪徳が忍び込んでいるのだ。虚偽行為が発覚して大問題になると、企業は大きなダメージをこうむってしまう。

 作曲家とされていた佐村河内守氏のゴーストライター事件のように、最近の日本ではこういった嘘が次々と発覚して社会問題になっている。正直という品性の重要性を社会的に再認識する必要がある。

 もっとも、ある意味ではここまでの話は当たり前かもしれない。道徳くさい説教だけでは市場の厳しい競争を勝ち抜けない……そんな声が聞こえてきそうだ。

美徳の思想で競争を勝ち抜けるか?

 美徳という言葉自体が、そもそも多くの人には馴染みのないものになっているかもしれない。美徳とは麗しい徳であり、徳とは「精神の修養によってその身に得たすぐれた品性」(デジタル大辞泉)である。

 東洋では、徳といえば儒教を思い出すだろう。孔子とその弟子との問答録である「論語」を見てみれば、それを身に付けるための言葉から全編がなっている。明治時代にも、ビジネスの成功には徳が大事だと考えた人たちがいた

 日本銀行などの創設者である渋沢栄一は、「論語と算盤」などの著作を書いて、儒教の教えが商売に大切であることを自らの体験から説明している。明治以来の日本経済の発展にこのような考え方は大きな影響を与え、老舗の大企業の社訓には儒教的な考え方がしばしば見られる。海外の経営学者もこのような点に最近は注目するようになり、ピーター・ドラッカーは渋沢の考え方を賞賛している。

 ただ、親や主君のような目上の者に従うというイメージが儒教には強く、若い人には敬遠されがちである。だから「徳を身に付けるために儒教を学べ」と言ってもすぐにはうまくいかないかもしれない。また、儒教は徳を説教するだけで、利益を得ることを軽視しているという見方も強い。だからビジネスには向かないと思う人も多いだろう。

 では、前回と同様に「もしドラ」風に考えてみよう。もしアリストテレスが企業不祥事を見たら、彼は何と言うだろうか?

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