トヨタ自動車の豊田章男社長は「自動車産業はどこの国だって国策事業です」と言った。その通りだと思う。自動車産業は過去100年、いつだって資本主義を進めて国民を豊かにしてきた。今回はそんな話を書いてみたいと思う。
自動車は欧州で生まれて、米国で育った。ご存じの通り自動車を発明したのはベンツだ。有名な3輪車「ベンツ・パテント・モートルヴァーゲン」が誕生したのは1886年。異説はいくつかあるが、特許を取得し、事業化したという意味ではやはりベンツがオリジナルということで良いと思う。
さて発明以後約20年間、自動車とは貴族のおもちゃで、多くの人の生活には関係ないものと思われていた。筆者は1897年に創刊された英国の自動車雑誌『オートカー』の創刊号を読んだことがあるが、特集は「赤旗令の考察」だった。当時の英国では、注意喚起のためにクルマの前方を赤い旗をかざした人が走らなくてはならなかった。当然クルマの速度や航続距離はランナーの能力で決まる。
今から考えると極めて馬鹿馬鹿しい法律だが、それだけ「クルマなんて金持ちの道楽。死亡事故を起こすようなけしからん遊びだ」という庶民の怒りややっかみが強く、また自分たちには関係ないものと思われていたということである。そんな思いがこうした非現実的な法律を作らせたと言える。
その自動車を今のような大衆が利用可能なツールへと変えたのは、1908年にデビューしたT型フォードであり、現在のクルマの直接の先祖はT型フォードだということになる。
そして豊田社長の言う「国策産業」としての自動車産業のスタートラインを切ったのもこのクルマだ。T型フォードは生産開始後、徐々にベルトコンベアを用いた流れ作業による大量生産方式へと進み、生産時間を大幅に短縮した。それは2つのメリットを生んだ。1つは生産効率の向上による価格低減であり、もう1つは労働者の技能依存性の低減だ。
フォードはファストフードのアルバイト同様、手順にさえ従えば、誰でも作業ができるように製造工程を改善した。誰でも作業ができるなら、いくらでも人が雇え、生産拡大が自由になる。
安ければ多くの人が買うし、生産拡大が可能になれば多くの人に売るだけの台数を作れる。つまりそれは薄利多売を価格と生産の両面から支えるシステムだったことになる。
しかし、それ以上にフォードが自動車の世界を大きく変えたのは、給与に対する考え方だ。フォードは誰でもできる単純労働の日給を5ドルにした。それ以前の給与相場が2ドル台と言われているから、仕事を単純化しつつ従来給与の倍を単純労働に支払ったことになる。その結果、求職者は引きも切らず、生産の拡大は順調に進んだ。
ここでマジックが発生する。900ドル以下と当時破格に安かったT型フォードを自社の工場労働者が次々と買ったのである。フォードは被雇用者の経済力を上げることで従業員をユーザーへと育て上げることに成功した。クルマを作ると国が発展する。これを筆者はT型フォードの法則と呼びたい。このメソッドはこれ以降ずっと繰り返されていくのだ。
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