1980年代、二輪車は多くの若者にとって今よりも身近な存在だった。多くの若者は16歳になるとバイクの免許を取り、排気量をステップアップしながら18歳を迎え、やがてクルマに乗り換える。それはごく普通の若者のライフスタイルだったのだ。
1985年の二輪車の保有台数は約1820万台。それが2015年には約1150万台へと激減している。昨年のスズキの決算発表では、鈴木修会長が「二輪については耐えるしかない」と事実上打つ手なしのコメントがあった。業界トップのホンダも事情は同じ、見通しは極めて暗い。なぜこんなことになったのだろうか?
そしてこの夏、数多くの二輪車が生産中止になる。その中には、長年多くのユーザーに支持された名車も含まれているのだ。例えば、ホンダ・モンキーは、アミューズメント施設「多摩テック」で子どもたちに「操る楽しさ」を感じてもらうため、1961年に作られたアトラクション用バイクに端を発し、1967年に一般向けに発売されて以来、50年に渡って多くの人々に支持され、日本の二輪車文化の中で大きな役割を果たしてきた。
人気もあり、文化的にも重要なこのモンキーが生産終了になることを嘆く向きは多い。結論から言えば、それはついに50ccエンジンが、排ガス規制に対応できなくなったからだ。
四輪車は1960年代から排ガス規制が始まり、1976年(昭和51年)、1978年(昭和53年)に一気に規制値が厳しくなった。メーカーの多大な努力によって、それを乗り越えてきた歴史がある。
ところが、二輪車は1999年(平成11年)規制まで、長きにわたって事実上規制の埒外(らちがい)に置かれてきた。規制はあるにはあったが、2サイクルエンジンでもクリアできる程度の緩やかな規制だったのだ。クルマに比べれば圧倒的に燃費が良い二輪車の場合、燃料消費量にひも付いて有害ガスの排出量が少なく、当然環境への影響も限定的なものと思われてきたことが大きいが、小排気量から馬力を絞り出さなくてはならない二輪車の場合、排ガスをキレイにするのが難しかったのも事実である。
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