本当は「長生き」なんてどうでもいい定年バカ(1/4 ページ)

» 2017年12月04日 07時24分 公開
[勢古浩爾ITmedia]

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本記事は、書籍『定年バカ』(勢古浩爾/SB新書)の中から一部抜粋し、転載したものです。


 2017年7月、最新の平均寿命が発表された(時事ドットコム、7月24日)。日本は男女とも過去最高で、男は80.98歳、女は87.14歳で、ともに世界2位。1位は男女とも香港である。それによると、65年には、男は84.95歳、女は91.35歳になると予想されている。個人がこんなことを知っても、なんにもならないのだが。

 20年前、日本がスウェーデンを抜いて長寿世界一になったとき、マスコミは「長寿大国ニッポン」と自画自賛した。もちろん近代医療によって乳幼児の死亡率が減ったり、それまでの死の病いが克服されたりして、個々人の寿命が伸びたことは無条件に寿ぐべきことである。しかし「長寿大国ニッポン」の「大国」という表現には、外国人、特に欧米人から認められることを欲している後進国日本が、世界で一番長生きの国になったんだと大喜びをしている情けなさが入っていたように思われる。

 しかも、その長寿(平均寿命)には、寝たきりの人も入院している人も全員が入っていて、諸手を挙げて喜ぶべきことでもないと分かり、しかも「長寿大国ニッポン」は「老人大国ニッポン」にもなったわけで、この老人たちがとんだ金食い虫になったのである。国も国家予算のなかで高齢医療費が膨大な額になるということが分かって慌てた。

 しかも当のじいさんばあさんたちは金を使わない。もう欲しいものがないのだ。いやお金だけはまだ欲しいらしく、怪しげな投資話や振り込め詐欺にかかっては何千万円もなくしてしまうものも出てくる。あとの小金持ちたちは子や孫のためにしか使わない。で、いまさら、大切なのは平均寿命ではない、自由に動ける体力を維持して日常生活を送ることができる健康寿命だ、などと言い始めた。

 長生きなんかどうでもいい、と私は思っているが、だからといって、いつ死んでもいい、と思っているわけではない。こんなことが言えるのも、私はまだしばらくは死なないだろうと高をくくっているからである。体力や筋力の衰えはしかたがない。しかし大病になる予感はいまのところない。いささかの不調の自覚はないでもないが、健診を受けていないから、体の内部がどうなっているかはまったく分からない。

 まだ不自由なく歩くことができる、自転車にも乗れる、介護保険は払っているが、希望的観測として、自分がそれを使うことはないだろうと思っている。物忘れは頻繁だが、認知症にもならないだろうと思っている。つまり生きている限り、なんとか現状のままいけるのではないか、と楽観視しているのである。こんな楽観にはなんの根拠もない。しかしこのほうが、サプリメントを摂取したりフィットネスクラブなどに行くよりは、一文もお金はかからないし、楽である。

「長寿大国ニッポン」になったけれども
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