翌13年にはブランドプロモーション戦略にもメスを入れた。
熱海市は民間事業者と共同で地元のブランドプロモーション戦略に取り組んでいたのだが、基本的には業者にまかせっきりだったという。その上、事業者を毎年変更していたため、戦略がコロコロ変わってしまっていたのだ。
齊藤市長は「市では予算を年度ごとに編成するため、事業やプロジェクトなども基本的には最長1年を上限に企画することが慣習化されていました。役所は“単年度主義”とやゆされることがありますが、こんなところでも役所の悪い部分が出てしまった感じですね……」と打ち明ける。
方向性が定まらないプロモーション活動をしたところで、熱海のイメージが定着しないのは明白だ。「まずは3年間は業者を変えずに、一貫したブランドプロモーション戦略を展開していこう」。民間企業からすれば当たり前にも聞こえるかもしれないが、熱海市にとっては大きな決断だった。
新しい戦略の元、プロモーションのメインターゲットを「流行に敏感で発信力がある若い女性」に設定した。「顧客を新規開拓していくには若い世代にも来てもらうことが必要ですし、熱海の“なんとなく古い”というイメージを刷新する狙いもありました」
13年に始めたブランドプロモーション戦略は15年に一旦終了したが、その実績を評価し16年からの3年間も同じ業者と取り組んできたという。民間事業者の協力があってこそではあるが、こうした熱海市の“役所”という殻を破った取り組みなどの結果、15年には観光客数は300万人以上の水準まで回復したのだ。
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