激戦ラーメン市場、それでも「一風堂」が選ばれ続ける理由:福岡から海外へ(2/4 ページ)
31年前に福岡で創業したラーメンチェーン「一風堂」の成長が止まらない。国内外で出店攻勢をかけているのだ。1年間で約3600ものラーメン屋が閉店に追い込まれる激戦市場において、なぜ一風堂は顧客に選ばれ続けているのだろうか。
女性が来るラーメン屋にしたい
一風堂が開業する前、創業者である河原成美氏は福岡市内でレストランバー「アフター・ザ・レイン」を経営していた。福岡といえば食文化の街で、元々とんこつをベースとした博多ラーメンが名物である。河原氏のバーには若い女性客が多く、博多ラーメンが皆好きだった。ところが、ラーメン屋には足を運ばないという。河原氏がその理由を尋ねると、女性たちは口をそろえて「汚い、くさい、怖い」と答えた。当時のラーメン屋はまさにこの“3K”で、多くの女性から敬遠されていたのである。
それを聞いた河原氏はひらめいた。「では、3Kを払しょくした店を作れば、女性もラーメンを食べに来るのではないか」。そこで1985年10月、福岡の中心街である天神エリアに隣接する大名に一風堂1号店をオープンしたのである。
店内は清潔感を持たせ、内装はモダンに、そしてBGMにジャズを流した。店で働くスタッフにもこだわった。元気が良くて容姿も爽やか、それでいて職人気質を持ってひたむきに仕事に打ち込む。そんな姿を見た女性が「カッコイイ」と思えるような若者をそろえた。つまり、あらゆる面で従来のラーメン屋の逆を行ったのである。
今でこそ似たようなラーメン屋は多いが、当時はあまりにも常識破りだったため、周囲からは驚きの声とともに、「どうせ失敗するだろう」といった冷ややかな意見も少なくなかったという。
そんな批判とは裏腹に、一風堂は開業からすぐに博多っ子の胃袋をつかんだ。特にメインターゲットとしていた女性の注目を集め、一人でラーメンを食べに来る女性客も出てきた。女性客が集まると、それに引かれて男性もついてくるもの。バー経営の経験からこれも河原氏の狙い通りで、いつしか一風堂は老若男女でにぎわうようになった。
創業時のコンセプトである、この徹底的な「差別化」こそが、その後の一風堂のビジネス成長を支えたのである。
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