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» 2006年09月08日 12時00分 UPDATE

Focus on People:2人の「お婆さんハッカー」にインタビュー(後編) (1/3)

自他ともに認める実績を持ち、16年間、国家安全保障局に務めたベッキー・ベースさんは、自らを生まれながらのギークと語る。しかし、やはりその人生の節々で彼女をギークたらしめる出来事が起こっていた。

[Joe-Barr,Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine

「前編:カリフォルニア州出身の奇才、テリー・ギルバート」を先にご覧いただくとより楽しくご覧になれます。


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―― それではベッキーさん、今度はあなたにお伺いします。あなたはどのようにしてギークになったのですか、あるいは最初からギークだったのですか?

ベッキー 生まれながらのギークだったと思います。父親にとってわたしは長女ではなく長男だったという冗談があるくらいです。家族同士の笑い話の1つですが、父親がトラックのオイル交換をしていたとき、せんさく好きだったわたしはモーターオイルの入ったバケツに頭から倒れ込んでしまったのです。しばらくわたしの姿を探してまわっていた父は、バケツの縁から、おむつに覆われたわたしのお尻とバタバタと動く足が出ているのを見つけたようです。油まみれになっていたので、本当に誰もわたしの身体をつかむことができませんでした。この一件でわたしはひどくからかわれる羽目になりました。

―― それでプログラマーになったというわけですか。

ベッキー ええ、まったくその通りです。わたしは父親の後を影のように追い回していました。彼はとても手先が器用だったので、わたしもたくさんのものに触れることができたのです。

―― 先ほどの夕食では、ジェミー・ホッファ氏のおかげで大学に行けたと仰っていましたね。そのあたりのいきさつを聞かせてもらえますか?

ベッキー 実際、あれは苦境でした。青年期にわたしはてんかんを患ったのです。地方の医師は、その種類を問わず障害というものを持つ人々の能力についてそれほど先進的な考えを持っていません。最初は診断の結果によって、また相当な量の薬物治療によっても、辛い思いをする時期が続きました。

 父親の勤めていた農場の経営が傾いたため、急きょ、彼は職を変え、初期の全米トラック運転手組合(Teamster)で地域のまとめ役を務めるようになりました。わたしが高校の最高学年になったときは家に金銭的な余裕がなく、大学に進学できるか分からない状態でした。進学すべきだということは明らかでしたが、どうすれば行けるかがはっきりしていなかったのです。地元の組合の人々は、わたしが間違いなく優秀であることを証明するために成績の記録を提出するように励ましてくれました。どこかの大学が受け入れてくれることを期待しながら、あらゆる手を尽くしました。というのも、ある種の大学ではてんかんが入学拒否の理由になっていたからです。

 わたしはアルバイトをして、必死になって何校分もの出願料を用意しました。やがて3月になり、General Mills社から電報が届きました。Betty Crocker Family Leader of Tomorrowプログラムの州選考にわたしが勝ち残り、奨学金をもらえるというのです。

 それから1週間もしないうちに、全米トラック運転手組合からも奨学基金の寄付を予定しているという書留郵便が届きました。どうやらホッファ氏と彼の奥さんがその年に予定されていた賞与の辞退を組合に申し出てくれていたようです。ホッファ氏は言っていました。もっと良い教育を受けていたら自分の生涯がどれだけ違うものになっていたか、自分はよく知っている。だから、恵まれない子どもたちに大学進学のチャンスを与えたいのだと。それは非常に寛大な奨学基金で、トラック運転手組合からは、それをわたしに与えることに決めたという通知がありました。こうしてわたしは無一文の状態から脱し、多額の奨学金を得たのです。

 大学に進学したわたしは、初年度に医療記録管理士に必要な科目に取り組みました。そして数学のクラスを受け、すっかり気に入ったのです。数学のことばかり考えるようになりました。

―― どちらの大学にいらっしゃったのですか?

ベッキー Alabama-Birminghamです。わたしは大学のキャリア相談センターを訪れ、「自分はもっと数学を究めたいのです」と言い放ちました。職員の人々は勢いよく立ち上がり、担当者はわたしを見て「15年間この仕事をしてきたけれど、この相談センターに入って来るなり、もっと進んだ数学のカリキュラムを要望した1年生は君がはじめてだ」と言いました。

 アラバマにある工学関係の大学で唯一の女性が卒業したばかりだったので、実は別の女性が必要だと感じていたのだとも彼は言っていました。そこで、彼らはわたしに工学部長と話をする機会を与えてくれ、わたしはその工学部長の勧めで専攻を工学に変更することになりました。結局、それ以降はほぼ一貫して工学に取り組みむことになり、伝説的な女子学生になったのです。

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