水着だらけの製品発表?――Notesの父がマイクロソフトの次世代サービスを率いるまで温故知新コラム(1/2 ページ)

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

» 2007年09月20日 07時00分 公開
[大河原克行,ITmedia]

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発表会に気合の入るロータス、その理由は

 ロータスは、1996年3月、グループウェア「Lotus Notes」の最新版である「Lotus Notes R4J」を発表した。この会見には、ロータス日本法人の社長である菊池三郎氏(当時)のほか、米国からNotes生みの親であるレイモンド・オジー氏が来日して出席した。これは、オジー氏が日本のメディアの前に姿を見せた初の会見となった。

 それだけに、ロータスも自然と力が入っていた。今だからこそ明かせるが、この会見とともに販売店やソフトベンダー、ハードベンダーなどを招待するセミナー兼懇親会を準備し、あっと驚く仕掛けとして、屋内プールを備えたエンターテイメント施設で、これを開催しようとの計画があった。だが、この施設への入場には水着が必須。女性社員などからの強烈な反対もあってお蔵入りしたという経緯がある。もし、この計画が実現していたら、当然会見もその施設で開催されていたことになり、菊池社長をはじめ、ロータス関係者、そして記者までもが水着という前代未聞の会見が開かれていたことだろう。この逸話からも、当時の力の入り具合が分かる。

当時のロータス日本法人の社長・菊池三郎氏

 ロータスが張り切っていた理由は、オジー氏の来日だけではない。日本でLotus Notesが発売されたのは1993年のR3から。R4の発表時点までに国内累計22万本を出荷していたが、同社の当面の出荷目標は100万本。新製品のR4によって、一気に出荷本数を引き上げようとの思惑があったのだ。実際、菊池社長はこの会見で、「昨年のロータスは元気がないと言われた。今年は、どんどん攻めの姿勢で販売していく。今年は日本で累計100万本を販売してみせる」と宣言してみせた。

 これに続くように、オジー氏もそれまでのR3に関して、「R3では、GUIが複雑すぎるなど、いくつかの間違いを犯した。ユーザーのニーズも十分に理解していなかった。しかし、R4はこれらの問題点を解決した自信作になっている。今後は6カ月に一度、機能を強化する」と発言し、日本におけるNotes普及に弾みをつける製品であることを強調した。その後、Notesは日本でのグループウェア市場での標準ソフトとしての地位を確固たるものにしたのは周知のとおりだ。

 ところで、写真のオジー氏の肩書きが、「アイリス・アソシエイツ社 社長」となっていることを不思議に思う読者がいるかもしれない。アイリス・アソシエイツはオジー氏が設立したソフトベンダーである。

「アイリス・アソシエイツ社長」の肩書きでLotus Notes R4J発表会見に参加したレイモンド・オジー氏

 オジー氏は、イリノイ大学の学生だった1983年に、まだグループウェアという概念がなかったにもかかわらず、「コミュニケーション」、「コラボレーション」、「コーディネーション」、「カスタマイゼーション」という4つのキーワードをもとに、Notesの原型となるコンセプトを開発。その後、いくつかのベンダーを経由した後に、Notes開発のための会社として自ら設立したのが、アイリス・アソシエイツなのだ。そして、ロータスはこのアイリス・アソシエイツを残しながら、Notes事業を推進していたのである。

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