インタビュー
» 2010年12月16日 11時30分 UPDATE

オルタナティブな生き方 山口陽平さん:進学も就職もブログも、すべてを突き動かしたのは実験の心 (1/2)

緻密なデータ収集と冷静で正確な情報分析をもとにした『一般システムエンジニアの刻苦勉励』を執筆する山口陽平さんに、その半生とブログへの思いを聞いた。

[聞き手:谷川耕一、鈴木麻紀,ITmedia]

実験くんだった子ども時代

 山口さんが子ども時代を過ごしたのは、名古屋の新興住宅地だった。周囲には田んぼや空き地が多くあり、野山を駆け回って遊んでいたとのこと。いまでこそSQLを駆使したデータ分析に長けた“知的な雰囲気”を醸し出している山口さんだが、小学生のころは「インドアでの遊びはほとんどしなかった」と振り返る。

 勉強をした記憶はあまりないそうだが、理科は好きだった。その中でも実験的な要素のあることが大好きで、ペットボトルロケットを打ち上げるなどの“実験”を行うのが、彼にとっての遊びだったようだ。何か疑問に思うことがあると試してみるのが当時の山口少年。そんな行動から、中学、高校での評価は「面白いことをする人」だった。「ちょっと変わっていること、くだらないことをするやつだと思われていたようです」と山口さん。

 周囲をあっと言わせたい、というよりは自分が不思議だと思ったことをとにかく試してみたい。それが、周りからの「面白いことをする人」という評価となったようだ。さまざまなことを試み、失敗も数多くあったとのこと。中でも傑作な実験は、漫画家の白戸三平氏が描く『カムイ外伝』などの忍者マンガに登場する秘薬“犬万”を作ったというエピソードだろう。この犬万、猫にとってのマタタビのようなもので、その製法がすごい。大量のミミズを集め、それを腐敗させて作るのだ。製造過程もできあがった犬万も、人間にとっては相当ひどい臭いがするらしい。想像するだけでも目を背けたくなるこの代物を、山口少年は作ったそうだ。

 疑問に思ったことは試すという性格は、高校時代にいったんなりを潜める。というのも、進学してからの2年間は、テニス漬けの生活だったのだ。しかし、インターハイ予選に敗れ引退してから、理科好きの血が再び目覚めることに。テニス部は引退したのに、なぜか科学部の活動に参加し、そこでまた実験的なことを始めたのだった。

マーケティングを学びSIerに就職。根底にあったのは実験の心

 大学進学は、実験好きを生かして理科系に進むのかというと、そうはならなかった。受験を控えた高校3年時に見たテレビ番組が、進路を決めるきっかけとなったからだ。

 それは、テレビのコマーシャルに関するドキュメンタリー番組だった。面白いコマーシャルがあると、商品がそれほどいい物でなくても、消費者に商品を買わせることができる。そういう内容の番組だったとのこと。

 どのようなきっかけを与えると、人々の行動を変えられるのか。この番組と出合い、興味を持つようになった山口さんは、“マーケティング”という方向性は“あり”だなと考え始める。結果的に進学先として選んだのは、同志社大学の商学部だった。

 「いま思えば、マーケティングにも実験や理論といった要素があります。これは科学とも重なる部分だと思います」と山口さん。マーケティングには自然科学分野の実験と同じ臭いがある。燃やす、混ぜるだけが実験だと思っていたが、マーケティングの仮説検証の方策も同じ実験だ。そう感じ取ったこともあってか、山口さんは怒濤(どとう)のごとくマーケティングの勉強に突き進んでいく。

山口さん 学生時代の山口さん

 しかし、就職先にはマーケティング関連の職を選ばなかった。「記号論的な考え方をするマーケティングは興味深いものでしたが、メーカーなどでそれを仕事にできる人はほんの一握りのように感じられました」と言う。山口さんが就職した2003年当時は、広告や宣伝活動を行う広告宣伝のような部署はあっても、理論的なマーケティング活動を実践する専門部署がある企業は国内には少なかったのだろう。そのため、就職先としてマーケティング関連の職種を選ぶことができなかったのだ。

 彼が就職先として選んだのは、国内ユーザー系システムインテグレーター(SIer)だった。じつは山口さん、子どものころはもっぱらアウトドア指向だったが、なぜかPCにだけは興味を持ち、父親の所有していたPCに触れていた。小学1年生にして、ROM BASICを使って雑誌などに掲載されているプログラムコードを打ち込み、ゲームを動かし遊んでいたというのだから筋金入りだ。中学生時代にはすでにプログラムの改造なども行い、シューティングゲームやパズルゲームの自作もしていた。

 そんな幼少のころからの経験もあったため、専門に情報処理を学んだわけではなかったが、PCやコンピュータについてはかなり詳しかった。そのスキルを生かし、就職先としてSIerを視野に入れることになったのだ。「SIerを受けると、どこも好反応だったので、自分はこの世界に向いているのかなと思いました。そして、ITシステムを作るのも面白いかなとも次第に思い始めました」と山口さんは振り返る。企業にITシステムを導入し、それによって社内プロセスが効率化するというのは、仮説検証的な要素も多く、実験と同様な取り組みかもしれないと思ったようだ。

 就職後、システム構築をいくつも行い、ITシステムを使って社内のさまざまな課題を解決する経験を積む。そのような経験の中で、課題を解決する方法は1つだけではないことに気付いたとのこと。そして現在は、ITシステム開発のプロジェクト経験を生かしつつ、企業内の制度設計をする仕事を行っている。

 制度設計はITシステムの開発とは少し異なるが、社内のプロセスを調整することで企業の課題を解決するというもの。企業内で何らかうまくいっていないことを、第三者的な目で分析し、仮説を立てて解決方法を考える。この一連の流れは、「子どものころから慣れ親しんできた実験と、似たようなことをしているのかもしれない」と、山口さんは言う。

順調だった人生を病魔が襲う

 話は前後するが、山口さんの職業人生は決して順風満帆だったわけではない。実は、入社する前に行われた健康診断で、B型肝炎と診断されてしまったのだ。B型肝炎は母子感染するが、その対策が取られ始めたのが1985年。山口さんは1980年生まれで、母子感染の可能性のある最後の世代だ。母子感染で肝炎ウイルスのキャリアになると、多くの場合、20年後くらいに発症する。まさにその通りとなり、突然の重い病の発覚となった。

 この事実を会社に説明し、入社する前に病院に入院することとなる。人事担当者が、これから何十年も働くのだからいまきちんと治しておいた方がいい、と元気付けてくれたとのことで、「伝統的な日本企業に就職して、本当によかったと思いました」と山口さんは当時を振り返る。とはいえ、B型肝炎は簡単に治療ができる病ではない。つらく根気のいる治療が必要となる。

 そして、インターフェロンによる治療が開始される。

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