運に導かれ運を築くオルタナティブな生き方 谷川耕一さん(1/3 ページ)

ITや電子書籍、エコロジーなどの話題を、分かりやすく解説・考察するブログ『むささびの視線』は、その優しい文体に特徴がある。ITmedia オルタナティブ・ブログ開設以来の人気ブログ筆者の谷川耕一さんも、その文章のように優しい人だった。

» 2011年03月03日 11時30分 公開
[聞き手:土肥可名子、鈴木麻紀,ITmedia]

 生まれは北海道の旭川です。4歳のときに東京の世田谷に移ったので記憶はあまりないのですが、印象に残っているのは自分の背より高く積もった雪とアイヌ犬を飼っていたこと。この犬とよく遊んでいました、というより遊ばれていましたね。

北海道での幼少時代。雪深い土地だった

 昭和40年代の東京は空き地や小さな河川が残っていて、僕もよく近所の川に入ってザリガニ捕りなどをして遊びました。環境汚染が問題になり始めたころで、川といっても水量が少なくゴミもたくさん投棄されているような状態。ビンのかけらなどが捨てられて危ないものだから、遊んでいるとよく怒られました。この後、東京の川はどんどん埋め立てられていき、自宅近くの川も大分少なくなりました。

 父は転勤族でしたが、基本的には単身赴任してくれたので僕たち家族はほとんど東京住まいでした。一度だけ、僕が小学校6年のときに長崎で暮らしたことがあります。住まいは長崎市の郊外でしたが海も山も近くて、毎日のように釣りに行ったり山に入ったりと自然の中で遊びまくっていました。

 カルチャーショックだったのが遠足。東京だと遠足というと電車やバスを使って行くでしょう。それが長崎では、「明日、遠足」となってもバスの席順を決めることもない。当日学校に行ってみたら、そのまま歩いて近所の山に行くわけです。びっくりしたけれど、これぞ「遠足」だなと。中学2年で東京へ戻りましたが、今でも長崎は大好きです。10月7日に「おくんち」という祭りがあって、この日は僕の誕生日でもあるんです。だから絶対忘れないし、遊びにも行きます。

 動物が好きだったので、子どものころの将来の夢は牧場主。大学受験のころには現実的になって獣医になりたかったのですが、いざなろうと思うと獣医学部がある大学自体がそもそも少ない。私立は医学部並みにお金がかかりそうだし、東京の公立の獣医学部は東大に農工大といずれも難しい。最終的には明治大学の農学部に進みました。

 獣医に近いという意味では畜産コースに進む道もあったのですが、当時は緑や環境が注目され始めたころ。僕もより広い視野で動物や生態系を見てみようと、緑地工学を専攻しました。卒論のテーマは「緑環境」と「虫」。先輩が「鳥」だったのでそれを補完する意味で「虫」を担当しました。虫や緑環境の多様性――いろいろな木が生えている公園は虫の種組成も多様だよ、多様性が高いところの方が自然は豊かだよ、というストーリーの研究をしていました。

 就職はマスコミ希望だったんです。生き物や自然を扱うドキュメンタリーを撮る仕事がしたくて。映像の仕事ならテレビ局かなと思ったのですが、何せ農学部でしょう。情報がまったくないわけです。周囲は造園土木関係の企業に進んだり、公務員や教師になる世界ですから、どういう就職活動をしていいかも分からない。結局、筑波大学の大学院に進むことにし、大学4年のときにはあまり就職活動をせずに、卒論のために公園に虫を取りに行ったりしていました。

大学院の修士論文発表会

 そして2年後。当時の大学院生の就職は引く手あまたで、自分の専門分野であれば研究室の推薦で行けたんですけれど、2年たっても僕はまだドキュメンタリーを撮る仕事がしたかった。なのでテレビ局志望は変わりませんでした。

 ところがテレビ局の面接に行って「ドキュメンタリーを撮りたいです」って言ったら「そんなことはテレビ局に入ってもできないよ」って言われちゃって。今みたいにインターネットで情報収集ができたり、もう少し社会のことを知っていたら、まずは制作会社でアルバイトして……と違うアプローチも考えられたけれど、僕には情報もなければコネもない。何も知らなかったものですから、テレビ番組を作るにはテレビ局に入るしかないと思っちゃったわけです。それでもなんとか2社ほど面接は通りましたが、筆記試験で失敗しました。

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