2塁打の人間の生き方オルタナティブな生き方 高木芳紀さん(1/2 ページ)

「人のすごいところを見ると、すぐにうらやましく思ってしまう」――自分は徹底的に“普通”だと話す高木芳紀さんは、ブログのタイトルも「普通のおじさんとソーシャルメディア。」と“普通”だが、実は著書が3冊ある。

» 2011年12月08日 11時30分 公開
[聞き手:土肥可名子、鈴木麻紀,ITmedia]

 「僕、本当に平凡な人生なんです。以前受けたインタビューでも、ライターさんから『高木さん、全然苦労してないじゃないですか。書きづらいなー』って。だから記事にしにくいんじゃないかと思うんですけど」(高木さん)

 取材相手に“書きづらい”とは同業者として結構失礼な物言いだと思うが、そんなことは意にも介さない様子の高木さん。穏やかな笑顔で流行のゆるキャラにも通じるほんわかした雰囲気を醸し出す。ブログのプロフィール写真で見るよりも実物はとても若々しいが、実はアラフォーだとか。

 「童顔なんですよ。でも最近は脇腹のぜい肉が全然落ちなくて……」。中学の同級生が自分よりメダボだとホッとする、ちょっと微妙なお年ごろだ。

トランペットに熱中した大学時代

「普通のおじさんとソーシャルメディア。」高木芳紀さん 父親孝行は息子さんたちにおじいちゃんが喜ぶセリフを言わせること。「でも息子たちには父の名古屋弁がいまひとつ通じてないみたいですけどね」

 高木さんの生まれは愛知県名古屋市。お父上は高校の社会科の先生だった。大学で哲学を専攻された父上の書棚には、キルケゴールをはじめとした思想哲学の名著が並んでいたそうだ。「おかげでいまだに読む気がしません(苦笑)。中学のころ一時期教師になりたいって思ったこともあったけれど、それも父というよりも学校にとても好きな先生がいて、その先生の影響だったし」。

 中学では剣道、高校では弓道と武道に精進していた高木少年は金沢大学へ進み、古都金沢で一人暮らしを始める。

 武道つながりで大学では柔道でも……と漠然と考えていたが、練習を見学してその厳しさに驚愕。「いきなり柔道なんてはじめたら死んじゃうかも」と思い、もともと音楽好きだったこともあってジャズ研に入る。これがトランペットとの出会いだった。「本当はベース志望だったんですけど、もうほかの新人がいてダメと言われました。それで指さされた先にトランペットが。でも、これまでの人生で一番熱中したのがペット(トランペット)かもしれません」というほどトランペット漬けの日々を送ったという。

 一時はプロのミュージシャンになることも考えた。「でも……」と高木さんは続ける。「ちゃんと教わったこともないし、しょせんは我流、素人なんです。そこそこ吹奏技術はあるし、ネタ的なこともいろいろとやれるんでバンドでは重宝がられるんですけれど、音楽理論をちゃんと分かってないと、本当のアドリブやソロってできないんです。突然、複雑なコード進行の曲とか渡されてこれやれって言われても僕にはできない。そもそも根っからの文系人間で理論めいたことが苦手だし、これじゃプロは無理だなと。あきらめて社会人になりました」。

 ちなみに卒論のテーマもジャズだったとか。「人種差別とジャズをマイルス・デイビスが語るという小説仕立て。今思うと顔から火が出るほど恥ずかしいのですが、法学部の人間社会学専攻だったのでテーマ的にはそれでもOK。どんだけゆるいんだって感じですけど」。

 かくしてジャズに明け暮れた大学生活を無事卒業した高木さんは、地元名古屋の総合商社に就職し、東京支社に配属される。「東京、嫌いだったんですよ。学生時代よくコンクールなんかで上京してたんですけど、人は多いし行くたび打ちのめされてて。やっぱりアットホームでフレンドリーな名古屋か大阪がいいなと、勤務先もそういう希望を出してたんですけど、新入社員の配属希望なんて聞いてないんですね(苦笑)」。

 働くとはこういうことか、まぁ仕方ないと諦めて、東京へ来てもうすぐ20年。結婚もし、お子さん(しかも双子!)にも恵まれた今、嫌いだった東京もすっかり「住めば都」になった。家も買っちゃったし。でも長男なのに大丈夫?

普通のサラリーマンから「名刺の専門家」へ

 商社に勤めて10年近くたったころ、跡取り息子であった会社の先輩に誘われて文具店「つばめや」に転職する。「新しいことをやろうとしていたらしいんです。渋谷の一等地に自社ビルを持ってるので、雑貨の店なんかどう? って。僕めちゃくちゃ雑貨好きだったんで」。

 「商社時代は本当に普通のサラリーマンだった」という高木さんだが、この縁がきっかけで人生がちょっとづつ変わっていく。

 古参社員数名の小さな会社に転職した高木さんは、まずはつばめやのインターネット部門担当ということでホームページを作ったりしつつ、広報の一環としてメールマガジン(メルマガ)を発行し始めた。文房具の使い方、ビジネス文書や手紙の書き方など、店の商品をネタにいろんな記事を書いていく中で、1番反応がよかったのが「名刺」ネタだった。異業種交流会などでマイ名刺、セカンド名刺のニーズが増えていた時期だということもあったかもしれない。

 「僕自身、商社時代は名刺は会社が支給してくれるものだと思っていたし、会社以外の名刺を持つなんて考えたこともなかった」という高木さんだが、彼が繰り出すちょっとしたアイデアやヒントは、ちょっとだけ目立ちたい、ちょっとだけ自分をアピールしたいという普通のビジネスマンの気持ちに見事に刺さり、ちょっとだけ知られる存在になっていった。徐々に名刺ネタの割合を増やしつつ、メルマガを書き続けること4年。これだけネタがあったら本になるんじゃないかと考え、「名刺の専門家」を名乗りだしたという。

 「コツコツ続けてると仲間が出来てくるんです。日本名刺協会なるものも作れたし、かけがないのない友人も増えてきた。仲間であり、ライバルであるみたいな。それが楽しいし、モチベーションになるから、また続けられるんでしょうね」(高木さん)

 最初の本を出したのもちょっとした縁がきっかけだ。メルマガで書き溜めた名刺ネタを1冊にまとめたい、本を出したいとは思ったものの、出版に疎かった高木さんは企画書をどう書けばいいのかも分からなかった。取りあえずの目標として年内にどこかに企画書だけは持ち込もうと思っていた2007年12月のある日、朝メールボックスを開いたら「企画募集」というメルマガが目に留まった。ありがたいことに企画書のフォーマットも用意されている。これは乗るしかないと、その日のうちに企画書を送り、翌年1冊目の著作『1秒で10倍稼ぐありえない名刺の作り方』が出版された。

 「よっぽどのベストセラーになれば別でしょうけれど、普通のサラリーマンが本を書いたからといって何かがガラッと大きく変わるわけではないです。ただ名刺やメルマガ、ブログなんかにはは本のことを書けるので、何かしらちょっと一目置いていただけるようになった気はしますね。そうそう、何より親が喜びます(笑)」(高木さん)

高木さんの名刺。左が日本名刺協会(思いついたので作ってみた)のもので、右が個人のもの。いろいろな要素が盛り込んである
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