業界記者がつづる「故・秋草直之氏の思い出」部内アイドル度調査はNo.1だった(1/3 ページ)

IT産業の未来を的確に予測し、IoTも17年前に先取り。「変化することで起こるリスクよりも、変化しないことで起こるリスクの方が大きい。もし迷うならば、変化を選べ」と、富士通にイノベーション体質を植え付けてきた元富士通社長・会長の秋草直之氏が6月18日に逝去した。

» 2016年08月10日 17時20分 公開
[大河原克行ITmedia]
Photo 2004年6月、米マイクロソフトとの提携会見でスティーブ・バルマーCEO(当時)と

 富士通の社長・会長を歴任し、顧問を務めていた秋草直之(あきくさなおゆき)氏が6月18日、急性心不全のため逝去した。享年77歳。

 7月29日に東京・内幸町の帝国ホテルで富士通主催のお別れの会が開かれ、多くの人が故人を偲んだ。

 富士通の田中達也社長は、「亡くなられる2日前にお会いしたばかりだった。顧問室にお邪魔したら、ずっと立ったまま話をされていた。元気な姿を見た後の突然のことなのでびっくりした」と振り返る。「営業時代に、ずいぶん助けていただいた。お願いすると気軽に同行してくださり、大型商談の成約につなげたこともあった」と語った。

 帝国ホテルで開催されたお別れの会で、集まった人たちが笑顔をみせていた一角があった。「秋草直之の思い出」と題されたコーナーだ。

Photo 1966年、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が川崎工場を訪れた際に「FACOM 230」シリーズを操作する秋草氏

 そこには、秋草氏の幼少期の写真や、秘蔵ともいえる32歳当時のお見合い写真、若きSE時代に当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の前で、FACOM 230シリーズを操作するシーン、関西営業本部長時代のテニスや綱引きを楽しむ姿、さらに初任給が2万円であったことを示す給与明細書までが展示され、多くの人が、ありし日の秋草氏を笑顔で偲んでいた。

 こうした笑顔が見られたお別れの会は、秋草氏の人柄を示すものだったといえる。

ぼくとつな言葉に垣間見た氏の熱き志

 秋草氏といえば、2001年に週刊東洋経済10月13日号のインタビュー記事に掲載された「従業員が働かないからいけない」という発言が、今でも取り沙汰される。社長就任以来、業績悪化が続いていることを問われての回答だった。この発言は責任転嫁や責任放棄などともいわれ、当時は大きな話題となった。

 だが、このとき富士通は、いち早く成果主義を導入しはじめていたところだった。もしそのニュアンスが含まれていたとしたら、あの発言は別の意味に受け取られることもあっただろう。実は「成果主義を徹底したい」という意志がこの言葉の根底にあったのではないだろうかと、筆者は推察している。

 もともと秋草氏は、言葉足らずなことが度々あった。180センチを超える身長でありながら、喋りはぼくとつだ。言葉が少ないから、その発言は誤解されるときもある。年に1回開催される記者懇親会では、秋草氏の周りに集まる記者の数はいつも少ない方だった。喋りが続かないから、どうしても間ができてしまう。秋草氏の性格や喋り方を知っている記者以外は集まりにくいという雰囲気ができてしまっていたのは確かだった。だが、その喋りには含蓄があり、多くの学びを得た。

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