科学的管理法(かがくてきかんりほう)情報システム用語事典

scientific management / 科学的管理

» 2008年02月19日 00時00分 公開

 組織的な経済活動(特に製造業の生産活動)において、実務作業者の仕事に関する基準仕事量と標準的な手順を合理的・科学的な方法で定め、管理者の下で計画的に活動を行うことで、能率・生産性を最大化しようという管理手法のこと。

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、米国の機械技師・顧問技師だったフレデリック・W・テイラー(Frederick Winslow Taylor)とその仲間たちが生み出した管理手法で、その管理技術の体系を「テイラーシステム」、指導理念を「テイラリズム」ということがある。近代的マネジメントの原点とされ、経営史でも特大特筆される。「課業管理に基づく差別的出来高給制」「時間研究などによる課業の客観的設定」「計画と執行の分離」などを特徴とする。

 科学的管理法が成立する以前の19世紀後半、米国産業界では鉄道網の発達や機械の導入が進み、製造業の生産量拡大が続いていた。当時は出来高給制が一般的だったため、労働者の賃金は際限なく上昇し、高すぎる賃金水準に耐えられない雇用者は出来高単価(賃率)の引き下げを繰り返していた。その結果、労働者は「よく働けば働くほど賃金率が下がる」と考えるようになり、組織的怠業が頻発、労使の対立が激化していた。

 テイラーはここに課業(task=1日に完了すべき基準仕事量)の概念を導入し、標準的な仕事を達成した者には割り増し賃金を、そうでない者には定額賃金(最低賃金)のみを支払うという差別的出来高給制を提唱、これにより組織的怠業を根絶できるとした。テイラーは課業を客観的に設定するため、(その仕事で)一流の作業者が1つ1つの作業にどれくらい時間を要しているかをストップウオッチで計測する技法(時間研究)を考案した。

 併せて、工場内の労働者(補助的作業者)の指揮・監督を一手に仕切っていた熟練工である職長(foreman=親方)の機能を“計画”と“執行”に分離する“職能的職長制”を提案した。テーラー案は標準作業の設定と生産計画の立案を行う「計画部」の下に「労務係」「時間・原価係」「工程係」「指図票係」の4種の職長(clerk)を、工場長の直下に労働者の実作業を異なる面から監視・指導する「準備組長」「速度組長」「検査組長」「修繕組長」の4種の職長(boss)を置くもので、8つの面から労働者を指揮・監督する体制を構想していた。

 テイラーは始めは勤め先のミッドベール製鋼所で、後には顧問技師として多くの会社にこの手法を導入・適用していった。しかし理論と実践の乖離は大きく、実際には理論通りに適用されてはいなかったようだ。後年(1914〜1915年)、米国労使関係委員会がシカゴ大学経済学教授のロバート・F・ホクシー(Robert Franklin Hoxie)を主査として、科学的管理法の実施状況を調査したが、その報告書「Scientific Management and Labor」によれば、多くの企業で科学的管理法は体系的な導入がされておらず、差別的出来高制と職能的職長制はほとんど実施されていなかった。時間研究は実施されていたが、時間研究の担当者が経営者に影響を受けて労働強化の弊害が見られる場合もあったという。

 科学的管理法は、米国機械技師協会(ASME=1880年設立)が中心となって進めていた「能率増進運動」の中から生まれてきたもので、当時は多くのエンジニア(能率技師、産業技師、顧問技師などと称していた)が、製造や建設、運輸、商業などで作業能率の向上に関する研究・実践と、相互の交流を活発に行っていた。その中で最も体系化が進んでいたのがテイラー流(テイラーシステム)であった。

 1910年、科学的管理法の名が全米に知られるきっかけとなる事件――東部鉄道運賃率事件が発生する。これはポトマック川・オハイオ川北部およびミシシッピ川東部の鉄道会社が従業員の賃金上昇を理由に、運賃の値上げを州際通商委員会に申請したことに端を発する。利用者たち(特に貨物輸送の大口荷主)は強く反発し、「人民の弁護士」ルイス・D・ブランダイス(Louis Dembitz Brandeis)を担ぎ出して抗戦した。ブランダイスは州際通商委員会に公聴会の開催を認めさせるとともに、そこで鉄道会社に反論する材料としてテイラーらの手法に着目した。すなわち鉄道会社がこの方法を導入して経営を能率化すれば、運賃値上げは不必要になるという論陣を張ることを考えたのである。

 テイラー自身は当初、鉄道事業に詳しくないという理由であまり協力的ではなかったが、ハリントン・エマーソン(Harrington Emerson)やヘンリー・L・ガント(Henry Laurence Gantt)、フランク・B・ギルブレス(Frank Bunker Gilbreth)といったテイラーの弟子・協力者らがブランダイスの呼び掛けに応じた。公聴会に際し、テイラーらが推進する制度をアピールするのにふさわしい名前がないことに気付いたブランダイスは、1910年11月にニューヨークのガント宅にギルブレスやローバート・T・ケント(Robert Thurston Kent)らを集め、呼び名を検討した。「能率」「職能的管理」「テイラーシステム」などが候補に挙げられたが、テイラーがしばしば“科学的”という言葉を使っていたことから「scientific management」と呼ぶことになった。

 明くる年、州際商業委員会が値上げを却下して運賃問題は終結するが、そこに至る論戦は新聞・雑誌によって詳しく報じられ、科学的管理法は一躍その名を轟かすことになった。

 そのころテイラーは米国陸軍の要請に応じて試験的に兵器廠へのテイラーシステム導入を進めていた。そのうちの1つ、ウォータータウン工場において1人の鋳物工が時間研究を拒否したために解雇された。これをきっかけにして1911年8月、ストライキが発生する。科学的管理法に反対の立場を強めていた労働組合は、このストライキを受けて下院議員に調査を要求。下院に特別調査委員会が設置され、1911年11月から1912年2月まで公聴会が開かれ、テイラー自身も4日間、証言台に立った。結果として1914年に連邦議会は陸軍予算に付帯条項を設けて、時間研究を禁ずることになる。

 1915年にテイラーが亡くなると、弟子のモリス・L・クック(Morris L. Cooke)が福利厚生と人事的手段を容認することで、労働組合の攻撃が沈静化する。さらに第一次世界大戦に米国が参戦すると労使協調となったこともあって、1920年代は科学的管理法の普及期となった。これ以後、製造現場のほかに事務管理や行政管理にも範囲は広がっている。

 テイラーは科学的管理法ブーム最中の1911年、自説の集大成となる論文「The Principles of Scientific Management」をアメリカンマガジン誌に連載した(本来はASMEの機関誌に掲載するつもりだった)。その冒頭でテイラーは「マネジメントの主要な目的は雇用者の最大繁栄と併せて、従業員の最大繁栄をもたらすことである。(中略)雇用者の繁栄は、従業員にとっての繁栄を伴わない限り長期間存続できず、逆に従業員にとっての繁栄は雇用者にとっての繁栄を伴わない限り存続できない。そして作業員が最も欲するところの高賃金を与えることと、雇用者が彼の製造業において最も欲するところの低人件費を両立することは可能である」と述べ、労使が協力する“精神革命”こそが科学的管理法の本質であることを強調している。

 この労使協調の精神革命を高く評価する向きもあるが、一般に労務管理分野でのテイラーに対する評価は、労働者を機械と見なしており、科学的管理法は労働者に過度の負担を要求する冷酷なシステムだったという論調で解説されることが少なくない。

 テイラーの真意はおそらく、熟練工(内部請負人と呼ばれる労働派遣業者的立場にあった)の俗人的支配に染まっていた製造現場に、制度と規律を持ち込むことで、能率や生産性を最大化する(パイを大きくする)ことにあった。テイラー存命中の労働組合は熟練工が中心となっており、科学的管理法は自らの特権を脅かす、エンジニアからの挑戦と受け止め、テイラーに激しい批難を浴びせたものと考えられる。

 実際、科学的管理法は社会を大きく変容させた。科学的管理法に由来する“マネジメント”は、仕事を細分化・単純化・標準化することで非熟練の農民や移民を労働者(ワーカー)にしていくことになる。結果として万能職工は廃れ、管理を行うマネージャ、管理上の記録を行う事務職、そして莫大な数の一般労働者からなる産業社会が誕生することになる。

 テイラーは下院公聴会で「(労働者が)改良意見を出すことを奨励すべきであるし、提案された改良は管理者側でその方法を注意深く検討し、採用を判断し、優れた改良であれば新標準として採用実施し、提案者には報酬が与えられるべきである」としているが、テイラー以後の細分化・固定化された単純労働者に改良意見を求めることは難しかったようだ。1970年代以降の米国製造業の凋落は、ここに遠因があるかもしれない。

 テイラーの活動は狭義の科学的管理法だけを生み出したわけではない。テイラーに触発されて、テイラーの協力者・弟子たちもさまざまなマネジメント手法を誕生させた。エマーソンは標準作業を発展させて標準原価計算を創案し、また職能別職長制に代えてライン&ファンクショナル制(ライン&スタッフ組織)の採用を提案した。ガントは差別的出来高給制に代わって働きに応じて一時報奨金を出す、課業・賞与制を考案している。そしてテイラーの時間研究、ギルブレスの動作研究は後継者によって作業研究として発展し、インダストリアル・エンジニアリングを形成することになる。他方、科学的管理法を非人間的と批判する立場からも、福利厚生や人事管理、さらに人間関係論や行動科学の諸理論が登場することになった。

参考文献

▼『テーラー全集 第1 科学的管理法ノ原理・工場管理法』 F・W・テーラー=著/上野陽一=訳/同文館/1932年(『Shop Management』『The Principles of Scientific Management』の邦訳版)

▼『テーラー科学的管理法』 F・W・テーラー=著/上野陽一=訳/技報堂/1957年(『Shop Management』『The Principles of Scientific Management』の邦訳新版)

▼『科学的管理法』 F・W・テーラー=著/上野陽一=訳/産業能率短期大学出版部/1969年(『Shop Management』『The Principles of Scientific Management』の邦訳新版)

▼『科学的管理法の原理』 F・W・テーラー=著/大阪市立大学商学部 プロジェクト杉田玄白参加メンバー=訳/プロジェクト杉田玄白/2007年(『The Principles of Scientific Management』の邦訳新版)

▼『科学的管理法の諸原理』 フレデリック・ウィンスロウ・テーラー=著/中谷彪、中谷愛、中谷謙=訳/晃洋書房/2009年4月(『The Principles of Scientific Management』の邦訳新版)

▼『20世紀新工場制度の成立――現代労務管理確立史論』 ダニール・ネルスン=著/小林康助、塩見治人、川岸清、大島俊一、今川仁視=訳/広文社/1978年6月(『Managers and Workers』の邦訳)

▼『科学的管理法の研究 増補版』 島弘=著/有斐閣/1979年3月

▼『科学的管理の生成』 ダニエル・ネルスン=著/小林康助、今井斉、今川仁視=訳/同文館/1991年5月(『Frederick W. Taylor and Rise of Scientific Management』の邦訳)


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