担当者が振り返るPDF1.7標準化の道のりPDFのISO規格化で得たものと失ったもの

» 2008年10月28日 00時00分 公開
[垣内郁栄,@IT]

 米アドビ システムズが開発し、同社の主力となっている電子文書フォーマット「PDF」が2008年7月2日に国際標準化機構(ISO)の規格承認を受けて国際規格(ISO 32000-1)となった。従来はアドビが自らの考えでPDFの仕様を開発できたが、今後はISOに提案し、改訂を求める形になる。PDFのISO規格化を主導した米アドビのアドバンスド テクノロジーラボ シニア プリンシパル サイエンティストのジム・キング(Jim King)氏にPDF標準化のメリット、デメリットを聞いた。

――PDFが国際規格となるまでの経緯を教えてください

 アドビは1993年6月にPDF1.0を発表しました。それ以来、書籍やインターネットでPDFとは何かが分かる文書を公表してきています。また同時に、PDFの読み込み、書き出しなどの処理についてはアドビの制約なしでほかの企業が公開できることも発表しました。

米アドビのジム・キング氏

 アドビがPDFについて所有してきたのは、PDF仕様書の変更および、変更した内容の公開の権利だけです。このオープンさによってPDFが世界で受け入れられるようになったと考えています。世界には数十億のPDF文書と、数千のアプリケーションが何百ものベンダによって提供されています。

 しかし、PDF発表以降、アドビがドキュメントのコントロール権を握っている限り、それでもオープンでないといわれ続けてきました。そのため、アドビは2年に1回くらいのサイクルで、仕様書を所有しないことのメリットとデメリットを検討してきました。

 天秤(てんびん)にかけるように常にメリットとデメリットのバランスを見てきたというのが実際です。標準化の一般的な目的は明確で、各企業間で競争ができるように規格のインターフェイスを統一することです。最良の標準とは変わらないことです。こう考えて、アドビは標準化団体にPDFを委ねるのではなく、自らが保有することで柔軟性を保ちたいと考えてきました。

 1996年末にまた、このサイクルが回ってきて、社内で議論しました。PDFを手放してほしいという要求を天秤にかけたところ、国際規格化すべきという、いままでとは異なる結果になりました。PDFを標準化し、オープンにするほうに傾いたのは、世界で標準への関心が高まっていたからです。特に欧州では標準についての議論が高まっていて、大いに影響を受けました。

 標準化を決めたもう1つの理由は、PDFの成熟度が増してきて、ここまでくればアドビが手放して、標準化団体にコントロールを任せても適切にやってくれるのではないかと思ったからです。2007年1月末にPDFの仕様書をAIIM(Enterprise Content Management Association)に譲渡し、ISOで国際標準化を目指すことを発表しました(参考記事:アドビの手を離れるPDF、実質標準から公的標準へ)。

――ISOでの作業はどのように進めたのですか

 ISOにはドキュメント提出についてのルールがあり、フォーマットや文言が決まっています。しかし、PDF1.7の仕様書はそのルールに適合していなかったので、2007年前半にはアドビの担当者がISOのルールに従って書き換えました。アドビやAcrobatについての言及などISOのルールでは不必要に思える記述を削除し、ISOのフォーマットに則るようにしました。

 PDFはすでにデファクトスタンダートだったので、ISOとしても処理を簡素化し、“Fast Track”で標準化を進めることを認めていました。それで2007年7月にドラフトを作成、各国に回覧しました。5カ月の回覧の後、12月にISOで国際規格にできるという結果になりました。ただし、多くのコメントが寄せられ、確認すべき点が指摘されました。

 コメントに対応し、最終的な投票を経て2008年1月にISOの正式な規格となりました。ISOは7月2日に最終的なドキュメントを公開しました。

 私としては痛みを伴うプロセスでした。30人くらいの人が関わり、多くの議論、論争がありました。それまでも議論はありましたがPDFに関わる人だけのものでした。しかし、PDF標準化では全社的な議論に発展しました。

 それでもアドビにとってよかったと思っているのは、決定を下してからはみんなが合意し、サポートをしてくれていることです。やるべきことをきちんとやってくれました。

――率直に言って、アドビにとってPDF1.7を標準化したメリットは?

 アドビが「よい会社である」と強調できたことです。

――本音では標準にしたくなかった?

 天秤のバランスと申し上げたように結局はプラスにもマイナスにもいろいろな要素があるということです。天秤の両方の皿に20項目くらい乗っていて、これがメリット、デメリットと明確にいうことは難しい。手放すべきではなかったという理由もあって、その理由が完全になくなったわけではありません。

――PDF標準化でよい影響はありましたか?

 もちろん。例えば政府によっては公開されたオープンなスタンダードしか使えず、PDFは使えないというところもありました。しかし、PDF標準化で突然OKになりました。アドビはこれまで、オープンとは何かを時間をかけて精緻に定義し、これらの政府に働きかけてきましたが、公開された標準となったことで、政府の規準をクリアできるようになったのです。

 この5年くらいの動向として、1つのベンダに縛られることを嫌がる傾向が出てきています。その中ではマイクロソフトの「Microsoft Office」に極力、囲い込まれないようにする動きもあります。PDFを使うことでアドビに囲い込まれていると思う人はそれほどいなかったと思いますが、PDFに限らず、(ソフトウェアベンダに)全体的な不信感があり、アドビに対しても影響があったと感じています。

 PDFはサブセット単位で広がってきました。PDF1.0のマニュアルは300ページでしたが、PDF1.7は1300ページになっています。バージョンごとに前のバージョンの機能を引き継ぎながら、新機能が追加されていくという形式のためです。しかし、このペースは落していかないと5年後にマニュアルが5000ページ! となっていては困るのです。

 国際規格化はこの問題を解決する1つのアイデアになると思います。PDFの成熟度が増し、変化が少なくなることで、ほかのユーザーの便益になるでしょう。標準化団体は規格を安定化させていきます。この点が多くの人の理にかなうのではないかと思いました。ちなみにISOで標準化されたPDFのドキュメントは760ページに収めることができました。

――標準化することのデメリットは何ですか

 PDFが標準化されたことのデメリットは、自分たちが変えたいと思ったときに変えられないことです。変えるにはまずは提案書を書いて米国内の委員会に提出して、それからISOにかけてもらわないといけない。1年以上のディスカッションが必要になります。ただ、国際規格になることのメリットを得るためには、そのくらいのデメリットは飲みましょうということで納得しています。

 標準化になったことで製品が売れるようになったかどうか……。多くの人は標準かどうかは気にしない、ということが分かりましたね。WebブラウジングをしていてPDFを見ても「これは標準化されたPDFね!」という人はまずいないのです。うるさい人だけが気にすることだと思います。ただ、このうるさい人の肩を持つと、標準化されることでコストが下がったり、競争が活発になったり、ユーザーがベンダ間、製品間で移動できるという面があります。

――「Acrobat 9」ではPDF1.7の範囲を超える機能が追加されています

 ISO 32000には拡張のためのメカニズムがありますし、もともとPDFも拡張可能。ISO 32000は1.7がベースなのでファイルの中で1.7と宣言をしています。仮にPDF1.7を拡張した機能を使う場合は、ファイルの中に拡張しているという宣言を行う必要があります。

 アドビはこの半年あまり、PDF1.7に対して行った拡張を「ISO3200-2」に含めるように米国内の委員会に提案してきました。来週(10月27日週)、北京で委員会があり、拡張が検討されます。うまくいけば最終的にはISO 32000-2にその拡張が入るかもしれません。

 アドビは何年もPDF開発の経験を積んできて、標準をぐちゃぐちゃにせずに拡張を行うことを学んできました。電子文書についての機能はかなり早い段階で固まり、成熟してきています。そのため標準機能に関わってくるような拡張はそれほど多くないでしょう。

 しかも拡張を作るのはアドビだけではなく、誰でも可能です。ISOに提案することももちろんできます。ただ、アドビはあくまでもISO標準としてこの拡張を進めていきたい。別のバージョンを作るようなことはしません。

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