インタビュー
» 2007年11月19日 20時42分 公開

達人の仕事術:孫正義のプレゼンを作った男――サイバー大学・岩永公就さん (1/5)

ソフトバンクの広報マンにして、ある時は西日本新聞社の記者、そしてある時はサイバー大学の大学職員……。果たしてその正体は――。

[鷹木創,ITmedia]

 ソフトバンクが福岡ダイエーホークス(当時、現福岡ソフトバンクホークス)の買収を表明した時、記者会見で孫正義社長がプレゼンテーションするためのPowerPointを作成したのが、当時同社の広報を務めていた岩永公就(いわなが・きみなり)さんだ。孫社長がいかに野球少年だったかをアピールするために、「社長が子供だったころの画像まで探し出しました」。孫社長からも「よく見つけてきたな」とほめられたという。

銀行マンから広報マンへ――職種を変えても成果を出す方法とは

 そんな岩永さんだが、社会人としての経歴は広報だけではない。1999年に新卒で入社したのは第一勧業銀行(当時、現みずほ銀行)。台東区の稲荷町支店で法人営業を担当したのが振り出しだ。当時、銀行の“貸しはがし”が問題になっていた。「こちらから貸しておいて、急に金利を上げると言ったり、金利を払えないなら元本を返せと言ったりするのは辛かった」と当時を振り返る。現場の苦しみを理解しない上層部にも反感を抱いたという。

 上層部への不信感に、銀行の合併話が追い打ちをかけた。「第一勧銀、合併するんでしょ?」と顧客から合併の話を聞いたのだ。確かに「企業合併」などの機密事項は社内でも直前に発表するのが通例である。だが、さすがに顧客から事実を告げられると「うちの会社はどうなってるんだ」と不安にもなる。

 「情報の風上にいたい」という思いを強くした岩永さんは、営業職ではなく、広報や広告といった会社の情報を扱う職種に興味を抱くようになった。銀行業務にフラストレーションが溜まっていたこともあり、2001年4月、ちょうど広報を募集していたソフトバンクに思い切って転職する。ほかの会社は「経験者のみ」の応募だったが、ソフトバンクは未経験でも応募可能で「法人営業経験者など業界に詳しい人」とあったのが心強かった。

 「もともと広告代理店などで働きたかったこともありますが、当時は広告の仕事も、広報の仕事も全然理解してませんでした」と笑う。最初の仕事はプレスリリースの作成。それまでも営業報告書だったら書いたことがあったが、記者や一般の人の目に触れるプレスリリースとはまるで違う。とにかく書けない。指導役の先輩社員に何度も何度もダメ出しされ、徹夜も珍しくなかった。あまりに厳しかっため、時には「あの野郎、死んだらいいのに」と不謹慎なことを願ったこともあった。

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