説得は、はじめは小さく、徐々に大きく:思うように人の心を動かす話し方(2/2 ページ)
セールスパーソンが「これ、買ってください」といきなり言っても、買う人はまずいない。しかし「話だけでも聞いてください」としつこく言ううちに、「じゃあ話だけでも聞きましょうか」となることもある。実はこのとき、すでにさらなる要求を受け入れる心理状態になっているのだ。
なぜ段階的な説得を受け入れてしまうのか
受け入れやすい小さな要請を最初にのんでしまうと、はじめから言われたらとてものめない法外な要求も、いつのまにか受け入れてしまう心理状態がつくられる。このことを実証した実験がある。
調査員が見ず知らずの主婦たちに電話をして、家庭用品の調査に協力してほしいと頼む。ある人たちには、1回目の電話でどんな家庭用品を使っているかに関する簡単な質問に答えてもらう。いわば、受け入れやすい小さな要請をするのである。そして、数日後に再び電話をして、今度はかなり大きな要請をする。調査員数人が家の中に上がりこんで、2時間ほどかけてどんな家庭用品があるかチェックしたいと言うのである。
それに対して、別の人たちは1回目の電話でいきなり大きな要請をぶつけられる。
さて、大きな要請の受け入れ率を比較すると、いきなりぶつけられた人の8割がこれを断っている。見ず知らずの人たちに家のなかをひっかき回されるなど、とんでもないことである。断って当然だ。
ところが、前もって簡単な質問に答えたことのある人たちを見ると、なんと5割以上の人がこの大きな要請を受け入れたのだ。
この心理的メカニズムを説明するとこうなる。ちょっと受け入れがたい要請を出されて、断りたいと思う。では断ればよい。だが、それを邪魔するのが、前に要請を受け入れているという歴然とした事実である。前は気持ちよく受け入れたのに、今度は断る。これはどうも心のなかに矛盾を生じさせる。心理学の世界では有名な「認知的不協和の理論」によると、人は自分の中に一貫性を持たせたいと思うもので、矛盾を嫌う。したがって、軽い要請であってもいったん受け入れると、さらなる要請が出されたとき、それを断るには相当のエネルギーを要することになるのである。
フット・イン・ザ・ドア・テクニック
心理学の世界でよく知られている、自己認知理論からの説明も可能だ。人は自分の行動を手がかりにして自分の性質を推測する。もし、他人の要請を受け入れてやったとすると、
「自分は心の広い親切な人物だ」
「自分はせこい人間ではない」
といったレッテルを自分に貼ることになる。一度はったレッテルにこだわらないわけにはいかない。そこで、そのレッテルを維持するためにも、さらなる要請をしぶしぶながらのまなければならなくなるというわけだ。
こうして、はじめに小さな要請をしてから大きな要請をぶつけるという段階的な説得法、いわゆる「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」に、いつのまにか引っかかってしまう。
私は学生のころ、アルバイト情報誌の仲介で何度か訪問セールスの経験をしている。そのなかには、
「話だけでも聞いてください」
と言って玄関のドアが開いたら、靴を突っ込みドアが閉まらないようにして売りつけろ、と指導する店主があった。文字通りのフット・イン・ザ・ドアである。これはまさに暴力的な押し売りであり、たいていの人は反発を感じて警戒を強めるだけで、決して心を開いてくれない。なかには、一所懸命なこちらの姿勢に同情して買ってくれる人もいたが、人の親切心につけ込むようで気分が悪いので、この仕事はすぐにやめてしまった。売りつける商品がもう少しマシなものだったら事情は違っていたかもしれないが……。
いずれにしても、文字通りのフット・イン・ザ・ドアは撃退できる人でも、心理的なフット・イン・ザ・ドアにはいつのまにか攻略されてしまうことがあるので、十分注意する必要がある。
(次回は「力を合わせて成功させましょう」について)
著者プロフィール:
榎本博明(えのもと・ひろあき)
心理学博士。1955年、東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業。
東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、現在、MP人間科学研究所代表。心理学をベースにした企業研修・教育講演等を数多く行うとともに、自己心理学を提唱し、自己と他者を軸としたコミュニケーションについての研究を行うなど、現代社会のもっとも近いところで活躍する心理学者である。
著書に、『「上から目線」の構造』『「すみません」の国』(日経プレミアシリーズ)、『「上から目線」の扱い方』(アスコム)、『「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち』(朝日新書)、『心理学者に学ぶ気持ちを伝えあう技術』(創元社)など多数。
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