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沖縄の海と風が育んだ地域ナンバーワンキャリア──沖縄セルラーに聞く (1/2)

日本国内で唯一、auがドコモより大きなシェアを取っている地域が沖縄だ。そこには地域に密着し、コミュニケーションを重視する“地元企業”の姿があった。
2007年03月28日 22時34分 更新

 auのシェアがドコモを抜く──。純増シェアのことではない。稼働台数で、auのシェアが50%を超えている地域がある。それが沖縄だ。

 沖縄のauは「沖縄セルラー」が展開しており、KDDIグループの中で唯一の地域会社になっている。筆頭株主はKDDIだが、沖縄電力や沖縄銀行、琉球銀行、琉球放送なども出資しており、“地元色”が強いのも特長だ。

 そして何より注目なのが、沖縄セルラーのシェアの高さだろう。沖縄ではauのシェアが50.4%であり、ドコモとソフトバンクモバイルを上回っているのだ。

 なぜ、沖縄でauと沖縄セルラーは強いのか。さらに「auがシェア50%以上」の地域で、MNPはどのような影響があるのか。今日の時事日想は特別編として、沖縄セルラーの代表取締役社長 起橋俊男氏のインタビューをお届けする。

Photo 沖縄セルラー代表取締役社長の起橋俊男氏

地元企業としての沖縄セルラー

 地域におけるauのシェアが50%以上。全国的に見ても特異なこの状況を作り上げる上で重要なポイントになっているのが、沖縄市場に臨む同社の体制だ。

 「沖縄におけるauが、ドコモやソフトバンクモバイルと大きく違うのが競争のフォーメーションです。(全国的に見れば)わずか1%の経済規模である沖縄で、沖縄セルラーは100%の力で戦えるフォーメーションを取っています」(起橋氏)

 沖縄セルラーは沖縄市場を1社でカバーするが、ドコモやソフトバンクモバイルは違う。あくまで本土の延長線上で沖縄市場を捉えている。地域会社制できめ細かなマーケティングを得意とするドコモでさえ、沖縄はドコモ九州の一部という扱いだ。しかし、起橋氏は沖縄の地理的・歴史的背景を鑑みると、“本土の一部”という市場の捉え方では不十分だと指摘する。

 「沖縄は東京から1000マイルも離れていますし、周辺は海に囲まれて隔絶されている。さらに経済規模も小さい。このような市場を本土の視点で見れば、(全体の)1%の重要度しかない。当然、資源配分も小さくなります。

 こういった市場環境においては、むしろその地域の会社として、小さいながらも100%の力で臨める体制を作った方がビジネスがしやすい。KDDIは多くの会社が合併してできましたが、その合併劇の時にも沖縄セルラーの統合は検討されませんでした。KDDI幹部も、沖縄セルラーの体制がこの市場の成功要因であると認識していたからです」(起橋氏)

 さらに沖縄セルラーは“地元の会社”であることも重視している。それは沖縄セルラー設立時の状況まで遡るとよく分かる。51%の資本はDDI(当時)が出したが、残りは「沖縄経済界をあげてご協力ください、と呼びかけた」(起橋氏)という。結果として、地元企業や名士の多くが沖縄セルラーに協力することになった。

 「沖縄セルラーの初代社長は前沖縄県知事でもあった稲嶺惠一氏なのですが、設立当初から(沖縄経済界として)『とにかく成功させよう』という気概があったと聞いています」(起橋氏)

 初代社長の稲嶺氏は沖縄経済界を代表するりゅうせきグループの社長であり、沖縄経営者協会会長なども務めた。後に沖縄県知事にもなる沖縄経済界のキーパーソンだ。

 このように沖縄セルラーは沖縄の経済界と市場が育んだ“地元企業”という面が強く、それが沖縄人の心情的な支持だけでなく、ビジネス的なメリットも多く生み出した。

愚直なエリア整備で「つながるケータイは沖縄セルラー」に

 また沖縄セルラーの躍進には、歴史的な背景が追い風になった。同社が設立された1991年からサービス開始の翌1992年頃は、第1世代のアナログ方式から第2世代のデジタル方式への転換直前であり、インフラ投資の見極めが難しかった時期だ。

 「特にドコモは(デジタル方式の)PDCへの投資が見えていたので、市場規模の小さい沖縄にアナログ方式のインフラ投資を手控えていました。一方で我々は沖縄がすべてですから、(デジタル化投資が控えていても)愚直にアナログのTACS方式でエリア整備をしました。設立当初からエリア拡大で他社をリードし、(沖縄では)『つながるケータイは沖縄セルラー』というイメージができていました。

 また、りゅうせきをはじめ地場の有力企業に販売代理店になってもらい、専売店契約を締結。ユーザー獲得にも地域の力を借りて力を入れました」(起橋氏)

 全国的に見れば、サービスエリアへの強い信頼を獲得したのはドコモだ。しかし沖縄では、ドコモの投資が遅れたことで、沖縄セルラーが設立以来ずっとエリアへの信頼を維持している。それは3Gの時代になった今も変わらないという。

 「1999年のiモード登場後はドコモのシェアが伸びましたが、それでも沖縄セルラーがドコモに負けたことはない。沖縄でauが強いのは、(地元企業として活動する)沖縄セルラーというフォーメーションと、沖縄地域の携帯電話事業の初動で先んじた結果といえます」(起橋氏)

 2000年代に入ってからは、au全体で取り組んだPDCからCDMA2000への移行が奏功してくる。PDCからcdmaOneへのインフラ切り替え期は投資負担がかさみ、さらにドコモのiモードによる躍進期も重なってシェアを落とすこともあったが、CDMA2000からCDMA2000 1x EV-DO(CDMA 1X WIN)といった3Gシステムへのすみやかな移行は収益やマーケティングの面で大きな強みになった。

 「特にドコモの開発した通信方式であるPDCから脱却できたのはよかったですね。PDCの上でiモードのマネをしていたら、auは不利でしたから。CDMA2000への切り替えが進み、auの独自色を出せたことは沖縄セルラーにとっても優位性につながりました。3G移行によって、我々の基盤がさらに強化されました」(起橋氏)

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[神尾寿,ITmedia]

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