台湾大地震から17年、「エコビレッジ」として復興した桃米社区の取り組み事例に学ぶ、地方創生最前線(3/3 ページ)

» 2016年03月25日 07時50分 公開
[石川孔明ITmedia]
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小さな村の取り組みが台湾社会全体に波及

 復興が進むにつれ、桃米は次第にエコビレッジとして知られるようになっていった。初期は被災地の現状視察としての訪問者が多かったそうだが、徐々に観光客が増えていった。そのことがテレビや雑誌など多くのメディアに取り上げられ、住民も地域の誇りを取り戻していった。新しい仕事が生まれたことで、都会に出て行った若者たちが戻ってくるようにもなった。

 「これまでに200近くの新しい仕事を創出しました。今ではエコロジーガイドは30人を超え、震災後に新設された民宿は32件、レストランは10以上。年間60万人がこの地を訪れます」と廖氏。1000人程度の社区においては、画期的な数字であるといえるだろう。現在では桃米社区の取り組みは教科書にも載るほどの有名な地域活性化のモデルケースとなり、台湾人で知らない人はいない土地となった。

 こうした桃米社区の取り組みは、地域の枠にとどまらず広く台湾社会に影響を与えている。一例を挙げれば、埔里鎮は桃米社区のカエルを参考に、蝶をモチーフとした街づくりを進めている。かつて埔里鎮は多種多様な蝶が舞う美しい街だったそうだが、標本にして海外に販売するための乱獲と自然破壊によってその数は激減してしまった。これを保全していくことで、エリアの観光資源としての価値を高めていこうという取り組みである。桃米社区の取り組みを忠実になぞったものだが、実際に観光客は増加しているそうだ。

 「地域資源に目を向け、台湾らしい持続可能な地域社会をつくる活動は、台湾全土に広がっています。最近では台湾以外の都市、例えば中国四川省やインドネシアからも視察や講演依頼が来たりします。日本の東北地方にも何度か訪問しました」と廖氏は静かに語る。

 台湾中部の人々は、大地震の甚大な被害から粘り強く立ち上がり、台湾全土に新たな地域社会のあり方を示した。桃米社区の後に続こうと、さまざまな地域が独自性を生かした街づくりに取り組んでいる。日本ではつい先日、東日本大震災から5年が経過した。これからの10年、東北からも未来の社会像を提示する地域が生まれてくることを期待したい。

プロフィール:

石川 孔明

1983年愛知県吉良町生まれ。地元愛知県にて漁網のリユースで起業後、外資系コンサルティングファームを経てNPO法人ETIC.へ。社会起業家や起業、行政を対象としたリサーチ&コンサルティングを担当。2011年に世界経済フォーラム・グローバルシェイパーズコミュニティに選出。リクルートワークス研究所客員研究員。

NPO法人ETIC.(エティック)

1993年設立、2000年にNPO法人化。起業家型リーダーの育成を通した社会・地域づくりに取り組む。東日本大震災後、東北のリーダーを支えるための「右腕プログラム」を立ち上げ、これまでに127のプロジェクトに対して、228名の経営人材を派遣している。2013年度からはジャパン・ソサエティーの支援のもと日米交流プログラムや助成プログラムも実施。


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