JR東海は最高裁判決で敗訴した。それでいいのだ。意図通り。まさしく「負けて勝った」。もともとJR東海は事故で亡くなった男性や遺族に対し、怒りも恨みはなかったはずだ。とはいえ、裁判の相手に対して訴訟の真意は説明できない。結果的に事故を起こした家族がスケープゴートになってしまった。その意味では「JR東海の家族イジメ」の批判を受けても仕方ない。判決後の様子が報じられていないけれど、JR東海からこの家族に対して、何らかの精神的ケアがあればいいのだが。
ここまで、あくまでも私の考察に過ぎない。しかし、この仮説が当たっているとすれば、「鉄道会社向けの人身事故損失に対する保険商品」は必要だろうか。認知症患者が亡くなる程度の人身事故損害額は、企業の体力からすれば損金で処理できる程度。もし保険の補償が必要になるとすれば、その規模は、人身事故の結果、列車が脱線し、乗客に死傷者多数、線路際の建物も損壊、というレベルだろう。福知山線尼崎脱線事故のような規模もあるかもしれない。しかし、そのとき、最高10億円で済むだろうか。むしろ、企業におけるさまざまなリスクに対応する、もっと大型の保険になりそうだ。
補償額に応じた保険料は設定されるだろう。最大10億円の掛け金はいかほどになるか。保険の対象は、会社か、路線か、駅もしくは踏切か。人身事故といっても、認知症患者もいれば、自殺者、スマホ歩きなどさまざまだ。すべてに適用できるか、免責事項は何か。免責の対象になってしまえば、今後も遺族が補償請求されるという状況は変わらない。
「鉄道会社向けの人身事故損失に対する保険商品」は、大手損害保険会社が、過去の鉄道事故発生率と損害額について、綿密な調査の上で設定したであろう。さて、どれほどの魅力を持っているだろうか。
荷物検査は本質ではない 東海道新幹線火災から考える
たび重なる悲運を乗り越えて前へ進もう 運行再開の信楽高原鐵道に期待
鉄道の不祥事から、何を学べばいいのか
なぜ「必要悪」の踏切が存在するのか――ここにも本音と建前がCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング